大正時代、村民が建てた「井山翁紀功碑」=浜玉町平原の草場天神社境内

 こたつを囲みミカンを食べるは、冬の風物詩。1973(昭和48)年、現在の唐津市浜玉町でハウスミカン栽培が始まり、佐賀県はハウスミカン生産量日本一に。おかげで一年中、ミカンを食べることができるようになった。

 ミカン栽培の功労者といえば、旧玉島村平原出身の井山憲太郎だ。医師兼業の農家に生まれ、医学の道を目指し1878(明治11)年、東京医学校に入学するも、病のために帰郷。教師となり、地域の人たちに学問を教える傍ら、ミカン露地栽培の技術普及に尽力した。

 農閑期はわらじ作りを勧め、日清戦争時、政府からのわらじ千足の注文に即応した。常にアンテナを張り、世の方向を知り、未来を予想することの大切さを彼に学ぶ。(地域リポーター・坂田あや子=唐津市)

このエントリーをはてなブックマークに追加