敗戦の翌年、全国紙に風変わりな求人広告が載った。「仕事をたのみたく至急連絡たのみます」と相手の名前が書いてある。名指しされたのは当時、福岡にいた漫画家の長谷川町子さん。上京すると決めたはいいが、地元の夕刊に連載を抱えていた。やむなく主人公を突然結婚させ、無理やりハッピーエンドに◆「サザエさん」一家に夫マスオさんと息子タラちゃんが同居することになったのは、いったんは結婚で終わった連載の続編を依頼され、話のつじつまを合わせる苦肉の策だった。サザエさんの結婚相手をどう描いたか、すっかり忘れていた長谷川さんは古新聞のとじ込みを探して確かめた◆父親が炭鉱技師だった長谷川さんは多久市の生まれ。生家は旧多久東部小の校庭あたりにあった。きょうで生誕100年を迎え、長谷川さんがサザエさんの想を練った福岡市では、まちおこしの機運が高まっているという◆三世代同居の大家族が、ちゃぶ台を囲んで食事し、おしゃべりに興じる。長谷川さんが描き続けたのは戦後の庶民の生活史である。高度経済成長が幕を下ろした翌年、昭和49(1974)年に「サザエさん」の筆を置く。時代は漫画の世界とかけ離れてしまっていた◆やがてバブル景気に沸く世の中で、彼女は92年に亡くなるまで沈黙を守った。その理由が今はわかる気がする。(桑)

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