深川製磁の南面

 深川製磁佐賀店が所在する地区は、かつて馬責馬場と呼んでいました。ここは片田江小路の一つで最も北に位置しています。

 承応3(1654)年の佐賀城下の絵図によれば、この地区は佐賀本藩の家臣の屋敷が並んでいて、比較的上級の武士が居を構えていました。元文5(1740)年の佐賀城下絵図を見ると松原町の入口に大きな広場があり、江戸時代から明治ごろまで、この広場を勢屯せいだまると呼んでいました。勢屯は佐賀城下に数カ所あり、軍勢や軍馬を集結する目的でつくられました。

 江戸時代の初期の城下町では、西から東へ延びた一本の街道と平行して、馬責馬場の堀割が南側に並んでいました。その堀割の堤防には柳の木が茂り、春先になると緑の若芽が吹き出し、この付近からは佐賀城の五層楼にそびえ立つ天守が柳を透いて見られる格好の場であったといわれています。馬責馬場の堀割に植えられた柳の木から、今日の柳町が誕生したと思われます。

 佐嘉神社の神社の東角に建つ有田の代表的な深川製磁は、明治36(1903)年に佐賀市に営業所を設け、百数十年の歴史があります。建物は明治期に建てられ、この周辺に比較的多く残っていた古い建物も次から次へと姿を消し、往時を伝える当時の様式を極力残し、街のランドマークとしてその役割を伝えています。この建物は平成12(2000)年、佐賀市景観賞を受賞しました。(北原學)

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