屋根にボールを放って、ころころと落ちてくるのを受け止める。昔よくこんな遊びをした。力んで高いところへ投げると、ボールは勢いよく弾んで、いつも捕り損ねてしまう。日々コラムを書いていて、あの苦い感触を思い出すことがある◆怒りに震える手紙をいただいた。19人が亡くなった障害者施設の殺傷事件の裁判で、9日付に〈「何もできない障害者に生きている意味はない」とする植松聖被告の偏った主張に触れるとき、自分の中にそんな価値観は巣くっていないと胸を張る自信はない〉と書いた。それが許せない、と◆事件をわがこととして考えたい、と願う文意が言葉足らずだったのだろう。自身も障害者という差出人は、なぜ最も弱い人の立場に寄り添って、自分にそんな価値観は巣くっていないと書けなかったのか、それで何が社会正義か―とつづっていた◆第2次大戦中、ナチスの強制収容所を体験した精神科医V・フランクルの『夜と霧』に有名な一節がある。やがてガス室へ送られる運命にあるユダヤの人々が、過酷な労働と栄養失調の中で、鮮やかな夕日に心打たれる。「世界はどうしてこう美しいんだ」◆深い絶望にあっても、生きる支えとなるような「世界の美しさ」をあなたは、新聞は伝えていますか。手紙がきっと言いたかった問いに思い当たってまた考え込む。(桑)

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