移動手段は60年ほど自家用車という古川一男さん。免許返納も頭をよぎるが「手放せない」と話す=佐賀市富士町

 最寄りのバス停から自宅まで徒歩15分。佐賀市富士町小副川の女性(86)は「荷物が多いと大変。歩くのにはちょっと遠いのよね」とため息をつく。多めに買い込んだ時は一つ手前のバス停で降り、タクシーに乗り換えて自宅に帰ることもある。

 週2回、食料品の買い出しやかかりつけの病院に通うのにバスを利用する。楽しみにしている友人との会食で市中心部まで向かう際は片道約1時間を要する。「帰りのバスを気にするなど時間に縛られ、出掛けるのは1日がかり」と不満を吐露しつつ、「絶対無いとだめ」。バスは生活の足として大切な交通手段になっている。

▽昔は満席当たり前

 昭和自動車(唐津市)は1940年代から富士町内で運行を始め、住民から「昭和バス」と呼ばれて長年にわたり親しまれてきた。元市役所富士支所長の吉浦利清さん(73)は「70年代までは車は高価で手の届かない特別な乗り物。会社勤めの人もみんなバスを利用して満席が当たり前で、ガイドが降車口に追いやられるほどごった返していた」と振り返る。

 高度成長期を経て車社会が山里の集落にも浸透し、移動手段が自家用車に変わるのに伴ってバスの利用客は減少の一途をたどった。買い物も気軽に市街地や郊外の大型商業施設まで行けるようになった。次第に昼間はほとんど乗客のいないバスが山道を走るのも日常の風景になってきた。

 一方で交通の利便性の向上は、商店の減少など地域の空洞化を招いた。吉浦さんが住む小副川は、直近の10年間だけでも四つの店舗が廃業した。「かつては手押し車でお年寄りが店に集まり、買い物がてら井戸端会議を楽しんでいたのだが…」

 買い物、通勤など日々の営みは車での移動を前提とした環境に変わり、「1人1台」が地域に広がるほどに路線バスの運行は縮小、利便性が低下する悪循環に陥る。そしてその影響は高齢者ら交通弱者に及ぶ。特に高齢化率が4割を超える富士町では深刻な問題だ。

▽バスの光景に安心

 町は佐賀市全体の3分の1を占めるほど広く、山間部で坂道も多い。町老人クラブ会長の古川一男さん(92)は会合などで1日おきに車で市中心部へ出掛ける。昨年末は町内を3時間回って老人クラブの資料を配った。「車がないと生活は成り立たんもんね。免許は手放せんよ」。免許返納は意識するが、車以外での通院などはなかなかイメージできない。加齢による運転への不安よりも暮らしの不便が先に立ち、ためらいがある。

 昭和自動車の路線バスは3月末で廃止となって代替の交通に移行し、里山とともにあったバスの光景はなくなっていく。「バスが走ってるだけでも安心感があったが…。山間地域が取り残されてしまうのでは」。吉浦さんは今後に一抹の不安を覚える。

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