祖父の大事なそろばんが壊されていた。日ごろ母親に打ち解けない感情を抱いている次郎は、疑いをかけられ「ぼく、こわしたんだい」とうそをつく。千代田出身の作家下村湖人の『次郎物語』に「そろばん事件」がある◆いったんは罪をかぶった次郎だったが、厳しく問い詰められて「ほんとうは、ぼくこわしたんじゃないよ」と白状する。ところが帰宅した父親から「こわしたと言ったり、こわさないと言ったりするのは卑怯(ひきょう)だぞ」と責められ、自分が壊したと言ってしまう。卑怯だと思われたくないばっかりに◆自分の心に正直に生きるのはむずかしい。次郎のように、ちょっとひねくれてみたり、周囲の空気を読んで調子を合わせてみたり…。心療内科医の海原純子さんは「本当のイエス」の大切さを説いている。本心はノーなのにイエスと言ったり、思ってもいないことをほめたりすることでストレスをためこむのだと◆改定から60年と還暦を迎えた日米安保条約も「本当のイエス」とは言い難い打算の産物だったろう。結果、日本が軽武装で経済大国の道を歩む足掛かりになったとはいえ、沖縄に基地負担が集中する重い課題を生んだ◆米国はさらに米軍駐留経費の負担増を求め、大統領の顔色をうかがうように自衛隊が中東に派遣される。この国が「本当のイエス」を言える日は遠い。(桑)

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