お正月気分は抜(ぬ)けましたか? 過(す)ごし方はそれぞれだったと思いますが、大みそかでも元(がん)日(じつ)でも亡(な)くなる人はありますし、生まれてくる人もいます。悲しみの中、よろこびの中などいろいろなお正月があったことでしょう。
 生まれる日も死ぬ日も基(き)本(ほん)的には選べませんし、あらかじめ決まってもいません。そもそも、日付には良いも悪いもないのです。
 1月1日も、朝日が昇(のぼ)って夕日が沈(しず)むいつもと同じ1日だ…と考えたことはありませんか? それは、その通りなのです。春分や秋分のように昼と夜の長さが同じになるなどでもなく、暦(こよみ)の上での1年の始まりというだけです。理科で習ったとおり、地球が太陽を一周する期間を1年とする場合の数え始めとして使っているだけで、スタートは別の日でも構(かま)わないですし、じっさい、別の日を1年の区切りとする暦を使う国もあります。
 お正月を祝うというのは、1月1日を祝っているのではなくて、期間の区切りとして「いろいろなことがあったけれど、1年よくがんばったね」ということだと思います。生まれてきたことも、生きていることも当たり前ではなく難(むずか)しいことです。「おもしろいことばかりではないけれど1日1日を積み重ねてまたこの1年を精(せい)いっぱい生きていこうね」と決意する意味もあるでしょう。お誕(たん)生(じょう)日も、亡くなった方の命日もそうですが、期間の区切りとしての記念日は、「私(わたし)がここにいることって実はスゴイことなんだ」と思いかえすための日としてはじめて意味をなすのではないでしょうか。
(浄土真宗本願寺派僧侶・日本思春期学会理事 古川潤哉)

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