武雄鍋島家資料の中に、写真プリントのための暗室用ランプがあります。 江戸後期、積極的に蘭学を導入した武雄領主鍋島茂義は、写真にも興味を持っていました。1846(弘化3)年に写真鏡の取り寄せを命じたこと、同年10月に「写真鏡一箱」がもたらされたことが「長崎方控」(武雄鍋島家資料)に見えます。