第三章 疾風怒濤(七十一)

 島たちが大人しく引き揚げたので、大隈は胸を撫で下ろした。
「どうやら終わったようですな」
 階上から久米が下りてきた。
「そなたは上に隠れていたのか」
「隠れていたとは人聞きが悪いな。大隈さんが『ここにいろ』と言うから、そうしたまでです。しかも大隈さんが刀を取りに来たらまずいと思い、床板を外し、その下に刀を隠していたんですよ」
「わしに果し合いをさせないためにか」
「そうですよ。島さんも丸腰の相手は斬りませんからね」
「さすが知恵者だな」
「大隈さんと一緒にいれば、誰でもそうなります」
 久米は「剥がした床板は、明日にでも直しに来ます」と言うと、三井子に一礼して帰っていった。
 久米に「お気をつけて」と言って送り出した後、三井子がしみじみと言った。
「島さんやら久米さんやら、あなたは、よいお友だちをお持ちですね」
 大隈は苦い顔をして立ち尽くすしかなかった。

       十七
 大政奉還の秘策を土佐藩に奪われ、しばし落胆した大隈だったが、すぐに次の目標に向かって歩み始めた。「蕃学稽古所(ばんがくけいこじょ)」こと後の致遠館(ちえんかん)の創設である。
 大隈の使命の一つに長崎での英語学校の創設があり、幕末の混乱の最中に、それがようやく実現したことになる。フルベッキを主任教諭に雇い入れた大隈は、副島を学監(舎長)に据え、執法(教師)五人に、生徒三十人という陣容で講義を始めた。
 生徒の中には大庭雪斎(おおばせっさい)の息子の権之助、後に江藤新平の片腕となる香月経五郎(かつきけいごろう)や山中一郎、美登の弟で後に煙草商人として財を成す江副廉蔵(えぞえれんぞう)、さらに薩摩藩の前田正名(まえだまさな)(明治政府の殖産興業の立役者)、肥後藩の加屋霽堅(かやはるかた)(神風連(しんぷうれん)の乱の首謀者)、加賀藩の高峰譲吉(たかみねじょうきち)らがいた。この時、十二歳の高峰は後にタカジアスターゼやアドレナリンを製薬化することで、巨万の富を築くことになる。
 また後に岩倉具視(いわくらともみ)も息子二人を、勝海舟も息子の小鹿(ころく)を入学させた。また生徒ではないが、薩摩藩の小松帯刀や土佐藩の後藤象二郎も、ちょくちょく顔を出すことになる。

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