第三章 疾風怒濤(六十九)

 島が吠えるように言う。
「そなたのおかげで、佐賀藩士が世に出る機会は失われた。われらは新たな政府ができても、薩長土三藩の下役に甘んじなければならなくなったのだ」
「それは分かりません。新たな政体の下では実力だけが重視されます。藩などという枠組みも崩れるでしょう」
 大隈は強弁したが、二百六十年余にわたり藩という鋳型にはめられてきた諸藩士たちが、その枠組みから脱することは容易ではないと思われた。しかも、ここに至るまで多くの有為の材を失った長州藩などにしてみれば、生き残った藩士がいい目を見ないとなれば、何のために戦ってきたか分からないとなるだろう。
「藩という枠組みは、そう容易には崩れない。われら佐賀藩は薩長土の下風に立たされる。それを思うと、わしは口惜しくて眠れないのだ」
「口惜しくて眠れないのは島さんの勝手ですが、これで内戦が防げたのですから、よしとせねばなりません」
「それでは、ご隠居様も殿も新政府に居場所がなくてもよいのか!」
 大隈は「いい加減にしてくれ」と叫びたかった。秘策を打ち明けたにもかかわらず、それを慶喜に告げなかったのは閑叟であり、大隈ではないからだ。
「居場所がなければ、草履取りでも何でも居場所を作ればよい!」
「何だと、この不忠者め!」
 島は土足のまま框(かまち)に上がると、大隈に掴み掛かった。その両手首を押さえようとしたが、島も放さない。二人はもんどりうって土間に落ち、取っ組み合いを始めた。それを島の取り巻きたちが囃(はや)す。大隈も喧嘩は得意だが、ふだんから鍛錬(たんれん)を怠らない島の力は強い。
 その時、凄まじい叱声(しっせい)が聞こえた。
「いい加減にしなさい!」
 驚いて振り向くと、母の三井子(みいこ)が立っていた。その背後には熊子を抱えた美登もいる。
「これはご無礼を」
 島が威儀を正す。
「あなたもいい年をして恥ずかしい。斬りたければ果し合いをしなさい」
 大隈が慌てる。
「いや、母上、それは――」
「あなたは黙ってなさい」
 二人は立ち上がると、着物の乱れを直した。

このエントリーをはてなブックマークに追加