第三章 疾風怒濤(六十七)

 後に大隈は『大隈伯昔日譚(おおくまはくせきじつたん)』で、この時の閑叟について「何事も為さざる保守的無為の人」と批判し、閑叟の行為を「一大不幸の藩たりしを免れず」とまで言って落胆している。
 だが人から気力を根こそぎ奪うという胃カタルの病状を大隈が知っていたら、閑叟への同情しかなかっただろう。
 久米が首を左右に振りつつ言う。
「もはや政局は動き出しました。われらは出遅れたのです」
「それでは、われらはかような鄙(ひな)の地で、芋でも掘りながら生涯を過ごすというのか」
「きっと、同じことを薩摩でも誰かが言っていますよ」
 慶喜が大政を奉還したと聞いた薩摩藩の強硬派は、唖然として言葉もなかったと想像できる。
 --内戦が回避されたことだけでも、よしとせねばならないのか。
 大隈は、喧嘩は好きだが戦を好まない。戦となると人が死ぬ。こんな馬鹿馬鹿しいことがあってたまるかと、かねてから思ってきた。師の枝吉神陽(えだよししんよう)からは「天子様のためなら命も捨てよ」と教えられたが、それは命を捨ててもよいという意味ではなく、命懸けで働けという意味だと解釈してきた。
 --実際に死んでどうする。
 死ねば、次の瞬間から天皇の役に立つことはできない。それまで培った学問も知識も、すべて捨て去ることになる。だから命を粗末にしてはいけないのだ。
 それは父の不慮の死や親友の空閑次郎八(くがじろはち)の無念の死から、大隈が体得したものでもあった。
 空閑の言葉が脳裏によみがえる。
「大望を持ちながらも、世に何も問えずに死んでしまっては、何のための人生か分からぬ」
 また『葉隠(はがくれ)』も「武士道と云うは死ぬ事と見つけたり」と言いながら、「主君の役に立たずに死んだら犬死にだ」と言っている。一見矛盾しているように聞こえるが、『葉隠』は死を肯定しているのではなく、死のぎりぎりまで主君のために働き、もはや死しかないとなった時、「死を恐れず、潔く最期を飾れ」と言いたいのだ。
 久米がため息交じりに言う。
「で、どうします。島さんなどは『義祭同盟の秘策を他藩に漏らした大隈を斬る』と息巻いておりますぞ」
 島とは島義勇(よしたけ)のことだ。
「知ったことか。斬りたければ斬れ」

このエントリーをはてなブックマークに追加