かつて対馬藩田代領だったことを物語る「田代橋」=久留米市

 私たちの先祖は田畑や集落をつくり、歴史を積み重ねてきました。そのため田畑を耕作しやすいように(特に水の給排水)や、あるいは集落がまとまりやすいように山河の地形に沿って境界をつくり、他の地域との区分をしてきました。このため国県や市町村の境界線は地形に沿って曲がっているのが自然です。

 ところが、鳥栖市と、昔の隣国の筑後国、現在の福岡県小郡市との境界線は直線的で不自然ですし、鳥栖市飯田町付近は昭和30年代までの国土地理院地図には一部、境界線が引いてありません。

 さらに南に下り、久留米市宮ノ陣の思案橋付近では「田代ほのけ(火の気と書き、火を燃やした跡)」という面白い通称地名も残っています。水路の橋にも「田代橋」とつけられています。これは昔、この一帯が対馬藩田代領だったことを物語っています。(この項続く。参考『鳥栖市誌第2巻』)(藤瀬禎博・鳥栖郷土研究会会長)

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