西から見た鏡城跡(▼印部分)。すぐ南を長崎自動車道が通っている=鳥栖市

 佐賀県鳥栖市牛原町の街並みの北側、標高191メートルの山頂に鏡(かがみ)城の跡があります。戦国時代の鳥栖地方を治めた筑紫氏は、鏡城から西へ約2キロにある勝尾城(かつのおじょう)を本拠地とし、その周囲に支城を築いて一帯の守りを固めました。鏡城はその防衛の最前線を担う重要な位置にあります。

 鏡城が築かれた時期など詳細は当時の史料に残っていませんが、江戸時代に筑紫氏一族が記した筑紫良泰「筑紫家由緒書」、筑紫安世「筑紫家由緒書」、筑紫辰五郎家「筑紫家覚書」などに記述があります。

 これらの史料では1520年前後に活躍した筑紫満門のころ、出城として「鏡山ノ城」があったことがみえ、40年ほど後の永禄年間には筑紫信清(真清)が城主を務めていたようです。当時の当主・惟門は豊後の有力大名大友氏と対立しており、信清は大友氏を後ろ盾として惟門に代わって実権を握るため、当時まだ3歳だった惟門の子・広門を奪い鏡城へこもります。

 これに反発する筑紫輝門や重臣島鎮慶らは鏡城を攻め、激しい攻防戦の末に落城。信清は鳥栖を去り、筑紫氏は幼少の広門が擁立され戦国時代を生き抜くこととなりました。

 静かな山間部に空堀(からぼり)などの遺構が良く残る鏡城跡ですが、戦国時代には一族での生き残りを懸けた激しい戦いの舞台であったようです。(地域リポーター・田中健一=鳥栖市儀徳町)

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