敗戦直後のことである。満員列車の車内に冷たい吹雪が吹き込んでくる。窓ガラスが誰かに割られていた。「戦争に敗(ま)けりゃあこんなもんだ」。乗客がつぶやいた。物理学者の中谷宇吉郎が随筆「硝子(ガラス)を破る者」に書き留めている◆博士が研究に使っていた山頂の観測所も泥棒に入られ、必要もないのに窓ガラスがことごとく割られていた。この〈無意味な破壊という不可解な心理〉はすでに戦時中、日本兵が文化施設や博物館の標本などを荒らす暴状に現れていた。〈われわれが今日直面している危機は、戦争に敗けたから起ったというよりも、自分自身に敗けたためである〉◆人心の荒廃は時代のせいではなく、胸の奥底に絶えず潜んでいる、ということだろう。19人もの命が奪われた障害者施設「津久井やまゆり園」の殺傷事件は、弱いものを切り捨てていく現代社会の写し絵にも見える。ただ、「何もできない障害者に生きている意味はない」とする植松聖被告の偏った主張に触れるとき、自分の中にそんな価値観は巣くっていないと胸を張る自信はない◆事件から3年半を経て、ようやく開かれた初公判はしかし、暴れ出した被告から〈不可解な心理〉について語られることはなかった。社会への重い問いは法廷で解けるだろうか◆裁かれているのは、私たちの心の内なのかもしれない。(桑)

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