第三章 疾風怒濤(六十三)

 母の三井子がぴしゃりと言う。
「そんなまずい策がありますか」
「さ、策と仰せか」
「そう、策です。戦国の昔から策のない武将は犬死します」
 三井子はいつも大隈には手厳しい。
「あなたは通報される危険を考えず、のんきに表口から送り出されたのでしょう」
「そうですよ」
「なぜ裏口から出ていくと言わなかったんですか。また、なぜ外の気配を確かめることを怠ったのですか」
「ははあ、なるほど」と言って大隈が頭をかく。
「捕まっても死罪になるとは思わなかったのでしょう。それで佐賀に帰り、仲間に『わしは脱藩した』と自慢したかったのではありませんか」
「まあ、それもありますが――」
 死を覚悟して脱藩した江藤に、大隈は憧れていた。だが佐賀藩初の脱藩をした江藤と、江藤が罰せられないのを見て脱藩した大隈とは、雲泥の差がある。
「脱藩するなら、二度とこの家の敷居をまたがないくらいの覚悟を持ちなさい」
 大隈は自己嫌悪に陥った。
「母上の仰せの通りです。私は藩やご老公に対する甘えがありました」
「それが分かればよいのです。では、二度とへまをしないと母に約束できますか」
「えっ、へまですか」
「そうです。脱藩するなら絶対に捕まらないようにする。それでも捕まったら――」
 三井子の声が上ずる。
「腹を切る覚悟をしておきなさい」
 大隈は三井子の言葉に感じ入った。
「死の覚悟もなく脱藩した私が間違っていました」
 三井子はうなずくと言った。
「夕餉の支度ができています」
「申し訳ありません」
 そう言うと三井子は座を立った。
 ――女二人に約束させられたか。
 妻には「二度と脱藩しない」ことを約束させられ、母には「二度とへまをしない」と約束させられた。
 ――これからは、家のことも少しは考えねばならんな。
 大隈は三十歳になっていた。
 時代の変わり目は目前に迫っていた。

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