第三章 疾風怒濤(六十一)


 だが大隈は遊んでいたわけではない。憤然として美登に言い返した。
「何か言いたいことでもあるのか」
「とくにありません」
「そんなことはあるまい。何かあれば忌憚(きたん)なく言ってくれ」
「では――」と言うと、美登の態度が改まった。
 それを察した大隈は、膝の上に載せていた熊子に「外で爺と遊んでいろ」と言って背を押した。
 熊子がいなくなり、美登の顔つきはさらに厳しいものになった。
「これまで我慢に我慢を重ねてきましたが、もはや我慢も限界です」
「ちょっと待て。どういうことだ」
「どうもこうもありません。あなた様は妻子眷属(けんぞく)のことを考えず、勝手気ままに生きています」
「勝手気ままと言われても困る。藩のため、お国のためによかれと思ってやっている」
「私に何のお話もなく脱藩したということは、もしも逃げ回ることができたら、二度とここに帰ってくるつもりはなかったのではありませんか」
「それは――」
 大隈が言葉に詰まる。後先のことは一切考えていなかったので、その可能性はなきにしもあらずなのだ。
 大隈が苦し紛れに言う。
「副島さんも一緒だ。あれほどのお方が、脱藩せざるを得ないと決断したのだ。それだけ国家が、危急存亡の秋(とき)を迎えているのだ」
 美登がはらはらと涙をこぼす。
「あなた様はご存じないのかもしれませんが、副島様は奥様に、切々たる情を吐露した書簡を出していました。それで副島様の奥様がいらして、あなた様も一緒に脱藩したと初めて知ったのです。副島様の奥様は、私に『あなたもご存じだと思うけど――』と話し始めたんですよ。最初は何のことだか分からず、私はとんだ恥をかいてしまいました」
 ――副島さんも人が悪い。
 副島は大隈には何も言わずに、妻あてに書簡を書いていたのだ。
 手巾で目頭を押さえ、美登は泣いていた。
「あなた様が藩の仕事で危ない目に遭うのならまだしも、私に何も言わず脱藩するとは、どういうことですか。下手をすると扶持米(ふちまい)を止められ、私と熊子、そしてあなた様のお母様は、路頭に迷うところだったんですよ」

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