第三章 疾風怒濤(六十)

閑叟の声音が厳しいものに変わる。
「そなたらは国元で、わしが『もういい』と言うまで謹慎していろ」
「しかし、維新回天の大業を間近で――」
「まだ先は長い。いつか出番も来る」
 そう言い残すと、閑叟は奥に下がっていった。
「大隈よ」と副島が声を掛けてきた。
「つまり、われらは謹慎という処分だけで済んだのか」
 落胆している大隈が上の空で答える。
「まあ、そういうことでしょうな」
「腹を切らずに済んだだけでなく、家禄もそのままか」
「多分、そうでしょうな」
 副島の安堵のため息が聞こえた。
 大隈と違い、副島は枝吉家にも副島家にも迷惑を掛けられない立場なので、処分が軽かったことがうれしいのだろう。
 だが大隈は、自分が同行せずに閑叟がうまくやれるかどうか不安だった。
 ――下手をすると将軍家の尖兵とされ、薩長と戦うことになる。
 閑叟が壮健なら、そこまで心配する必要はない。だが胃病と年齢的衰えから、慶喜らに丸め込まれてしまう可能性もなきにしもあらずだ。
 ――だが、われらは脱藩の大罪を犯したのだ。しばらく隠忍自重するしかない。
 いったんは大空に飛び立った伏龍大隈だったが、再び深い淵で雄飛の機会を待つことにした。

       十五
 ほとんど無罪に等しい謹慎処分を下された大隈は、意気揚々と自宅に戻った。
 表口で「帰ったぞ」と言うと、廊下を走ってきた熊子が笑顔で飛びついてきた。
 下男の爺も喜んで足を洗ってくれた。
「いい子だ、いい子だ」
 熊子を抱き上げて居間に入ると、美登が正座して待っていた。
「お帰りなさいませ」
「今、帰った。いやー、疲れた。飯にしてくれんか」
「処分はどうなったのですか」
「とくにお咎めなしだ。謹慎ということだが、江藤さんのように自由に動けそうだ」
「それはよろしかったですね」
 いつになくよそよそしい美登の態度に、ようやく大隈も、美登が怒っていると覚った。

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