〈三ヶ日ゐて飛び立ちぬ旅の龍〉。作家の丸谷才一さんが辰年の賀状に書いた句という。仕事始めとともに去っていく「旅の龍」。今年なら「旅鼠(ねずみ)」ということになろうか◆正月を故郷で過ごした家族連れのUターンする情景が浮かぶ。実家からせしめた手料理をたっぷり背負った親ネズミは今時分、子ネズミの手を引いてせわしなく家路を急いでいるところだろう◆もてなした側はさびしさ半分、残りはやれやれと肩の荷を下ろすころ。「おばあちゃんのご飯が食べたい」と言われれば、張り切ってごちそうを作り、残り物は当座の食事に困らぬようあれこれ持たせ、年の瀬に豪華な食材であふれかえっていた冷蔵庫は、普段のわびしさを取り戻す◆社会学者の春日キスヨさんが「ふるまい納め」を提唱している。以前ならお嫁さんたちが食べごしらえをしていたが、今は遠慮もあって、80代前半の母親が台所に立ち続けている家庭もあるという。元気なうちならともかく、年金も先細りになって貯えも減り、いつまでもふるまい続けることは無理、というわけである◆もちは買うもの、おせちは注文するもの、というのが当たり前になって、正月の気分は年々薄らいでいく。このうえ、食材をちぎったり丸めたりする手仕事まで消えてしまったら…いただくばかりのネズミも胸の痛むときがある。(桑)

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