自身のアトリエで日々製作に没頭する日本画家の大串亮平さん=佐賀市神野西

 大隈重信を主人公に佐賀新聞で連載中の小説「威風堂々」。挿画を担当している佐賀市の日本画家・大串亮平さん(43)は、毎年のように佐賀で個展を開きながら、デザイナーとしても活躍が光る意気盛んな作家だ。日本画には絶えず立ち返る理想を、デザインには依頼人の人柄をも投影しながら、独自の進化を続けている。


◆「いいのか悪いのか」

 「本のちょっとしたカットを描いたことはあるけど、小説を読みながらずっと描いていくのは初めて。楽しんでいますよ」。新聞連載小説の挿画という仕事への充実感をそう語る大串さん。一方で「いいのか悪いのか分からず、心配になりながら描いている。(新聞に)載る度に下手さに気づく」と苦闘ぶりも明かす。
 1週間分の小説がまとめて届き、それに合う挿画7枚を2、3日で描き上げているという。基本の画材は日本画に使う顔彩だが「イメージによってはペンを使ったり、パソコンで着色したりもする」
 幕末から明治へと切り替わる時代性が、難しい要因の一つ。変化する人々の服装や髪型は、当時の写真や浮世絵を資料として使っている。「描くことより、(小説を)理解する方が難しい。歴史はあまり知らなくて」と苦笑する。
 ただ「今回に限らず、自信満々で描くことはあまりない。描いてと頼まれれば120%の出来で返したいが、相手の受け取り方にもよる。お客さんの反応が判断材料」。学生時代を過ごした京都から佐賀へ帰り十数年、こうして腕を磨いてきた。

カワセミとハスを描いた日本画

◆「線」に魅せられ

 幼い頃から近所の絵画教室に通っていた。日本画との出合いは中学の頃。福岡であった浮世絵の展覧会で美人画を見た。版画になる前に墨で描かれただけの原画で、着物のしわの線に目を奪われたという。
 「洋画は『面』で描くが、日本画は例えば梅の枝でも太さの違う『線』で描いてあるだけで、輪郭線を描いて塗っているわけじゃない」。中でもやわらかい曲線にほれ込み「自分もあんな線を引きたい」とくぎ付けになったという。
 佐賀北高芸術コースで日本画を学び、卒業後は京都精華大美術学部(現・芸術学部)造形学科日本画専攻へ。ただ「洋画のように厚塗りする風潮が嫌」で、日本画からは遠ざかる。卒業後は祇園や嵐山でポストカードなどを売ったり、デザインの仕事も探したりしたが、生活は「その日暮らし」だった。
 友人の結婚式で帰佐した折「佐賀の方がのんびり絵に向き合える」と感じ、27歳の頃に帰ってきた。一度はデザイン事務所に入るも違和感が拭えず、一方で日本画への情熱が再燃。2005年佐賀で初めて日本画の個展を開いた。
 「周りからは『古くさい』なんて言われた日本画だが、好きなことをしようと決めた。昔の絵師の作品をまねして技術を勉強した」。古典的な日本画は京都で学んだ現代的な描画法とは違い、いろいろな方法を試しながら少しずつ習得した。「髪の生え際のぼかし方なんて、昔の絵師は誰にも教えていない。やってみないことにはできなかった。初めて日本画を知った感じだった」と振り返る。

◆二足のわらじ

 佐賀で日本画家として本格的に活動を始めてからも、それだけで生計を立てるのは難しく、絵を用いたデザインの仕事を続けた。同時に、JR佐賀駅のコンコースを使った若手作家のオリジナルTシャツ展(05年)など、さまざまなアートイベントに携わり「特に30代半ば頃までは、声が掛かれば断らず参加した」と振り返る。
 最近では6年前から、佐賀北高で非常勤として高校生に日本画を教えている。デザインではジャズシンガー、ケイコ・リーが今月4日にリリースしたアルバム「The Golden Rule」のジャケットを手掛けるなど、活躍ぶりは県内にとどまらない。
 大串さんによると、日本画とデザインという「二足のわらじ」には共通点がある。「昔の屏風(びょうぶ)画なんて、デザインっぽくないですか。空白の配置やレイアウトからも、ただ景色を描いているわけじゃない。絵とデザインの両方を描きたい気持ちと通じる」という。

ジャズシンガー、ケイコ・リーが今月リリースしたアルバムのジャケット
ビートルズのパロディーバンドで福岡を拠点に活動する「ゴーグルズ」のジャケットも大串さんが手掛ける

 


 制作する上で「日本画は人に文句を言われても好きな表現をしようと決めているが、デザインはお客さんがひと目見て喜んでもらうための描き方を探るもの」と、バランス感覚を保つ。「依頼した人が気に入るまで付き合わないと気が済まないし、相手の人柄も含めたデザインをしたい」とデザインの矜持(きょうじ)を語る。

明 ナンテンとジョウビタキを描いた日本画

◆美人画に「近づいた」

 日本画について常に念頭にあるのは「もっと好きな絵を、もっと自由に」。それは言葉ほど簡単ではなく「佐賀で10年ぐらい(日本画の)個展をしているが、いまの自分の描き方には面白みを感じていない。売るためにばかり描いてきたから、これが自分の本当に好きな絵なのか、分からなくなる」と打ち明ける。
 「威風堂々」の挿画は、そこに小さな風穴を開けつつある。挿画では数多く描いている「人物」だが、日本画の作品ではあまり描いてこなかったモチーフだからだ。
 「挿画の人物表現には悔しい思いがいっぱいある。『もっと気の利いた構図で』などと考えはするが難しい。やっぱり昔の絵師にはかなわんなと痛感する」と苦笑する一方、「次の作品では人物を取り入れてもいいかな」との意欲にもつながっている。
 「人物を描き始めたことは、ある意味で自分が影響を受けた絵師に近づいたというか…」。もっと自由で、もっと好きだと思える大串さん独自の絵の世界は、その歩みの先に待っているのかもしれない。

2012年に手掛けた浄教寺(佐賀市川副町)の腰板の装飾画。ハスをメインに「浄土」をイメージした


【クリエイターを目指すみなさんへ】とにかく人としゃべる

金魚をあしらったオリジナルワンピース

 20代で京都から佐賀に戻った大串さんは日本画に熱中する一方、デザインの仕事探しにも腐心した。その時代を乗り切った経験を基に「とにかく人としゃべること」を勧める。
 「会社経営者などが来そうな飲み屋のカウンターで、隣に人が座ったら話す。作品ファイルも見せて、気に入ってもらえれば、ショップカードや看板などの仕事にもつながった」と秘けつを明かす。
 若手作家同士で開くアートイベントに必要な会場や物品も、関係者に頼み込んで調達したケースが少なくない。JR佐賀駅で開いたTシャツ展では当時の駅長に頼んで会場を借りたほか、絵の具やガムテープが足りない時はメーカーの協力を得たこともあったという。
 心掛けたのは「とにかく言いたいことを言う」こと。「たぶん上手には話せなかったし、同じことを何回も言っていたと思うが、後から『あれを言っておけば』と後悔しないように」との思いだった。
 当時支えてくれた大人たちへの感謝は今も忘れない。その中で芽生えた「佐賀のために何かしたい」との思いから、声が掛かればあらゆるイベントに協力した。さらに広がった活動の延長線上に、大串さんの今がある。


おおぐし・りょうへい 1976年京都生まれ。佐賀北高-京都精華大学日本画専攻卒。拠点を佐賀に移し2005年、佐賀市内で初個展。以来、個展やグループ展を重ねる。佐賀市のギャラリー「遊」での日本画展は08年から18年まで毎年開催しているほか、京都や滋賀での展示会も重ねている。
 制作するジャンルは日本画にとどまらない。02年、京都ホテルオークラで開かれたファッションショーや大阪でのライブイベントで空間演出を手掛けたのを皮切りに、佐賀でもサイケデリックイラスト展、寺の天井画・納骨堂の仏画制作、日本画と映像のインスタレーション、写真展などを開き、幅広く活躍する。
 19年8月1日からは、佐賀新聞紙上での連載小説「威風堂々」の挿画を担当し毎日紙面を飾っている。

 

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