日本磁器が創始された南原地区周辺の景観

 観光関係をはじめ、陶磁史に関する各種の原稿の校正を依頼されるが、近年、磁器の創始に関わる部分については、ちょっとその内容が様変わりしつつある。

 昭和の時代には、“元和2(1616)年に、陶祖李参平は、泉山で陶石を発見し、白川天狗谷に窯を築いて、日本初の磁器を創始した”という内容が、疑うことすらためらわれるほどの定説であった。しかし、ここから、現在では天狗谷窯跡はほぼ姿を消し、発掘調査の成果などから、小溝窯跡をはじめとする有田の南原地区で磁器が創始されたことはかなり周知されるようになった。ところが、逆に、これが混乱の始まりともなっているのである。

 かつて、天狗谷窯跡が磁器創始の窯とされたのは、古文書の中に、泉山発見後、最初に白川天狗谷に窯を築いたと記されるからである。ところが、それを南原地区の窯場に単純に置き換えたのでは、逆に古文書との整合性が取れなくなる。

 しかし、泉山が最初の磁器原料の採掘地でなかったらどうか。当初は近隣の原料を用いて南原地区の窯場で磁器が創始されたものの、原料が枯渇し始めたため、方々を探し回り、ようやく発見したのが良質で豊富な埋蔵量を誇る泉山だったのである。そして、発見後、最初に天狗谷に窯を築いて、今日の有田に通じる産業的磁器専業体制の基盤が築かれたのである。

 (有田町教育委員会学芸員・村上伸之)

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