無地唐津

(器高3.8センチ、口径6.3センチ、高台径2.6センチ、江戸初期)

黒唐津

(器高3.5センチ、口径6.0センチ、高台径3.2センチ、江戸初期)


 私が最初に求めた唐津の盃は、高台が糸切りの、江戸初期に作られた山盃と呼ばれる量産品で、値段は確か7万円位だった。当時、二十代の私にとって高価ではあったが、手を伸ばせば買えた金額だった。

 「唐津の盃はいい。いいけれど高い」は本当の話で、今、この期に及んでもハッとする盃はドキッとするほど高い。しかしながら、過去を振り返ってみると、二十代から今まで、その都度、思い思いの唐津の盃を求め、使ってきたが、それというのは何より自分独自の価値観を、盃ひとつひとつに反映させてきたからに他ならない。つまり、手の届く値段の物の中に、他の物にはない個性と魅力を見い出し、それを愛でてきたのである。

 やきものは、窯の中で釉薬が溶け、焼き上がる間に、様々な自然の恩恵を預かるものだ。従ってどれひとつとして同じ物がない。同じ物がないから見る側に選択が生まれ、独自の眼が育つのである。言い換えれば“自分好み”が次第に確立してくるのである。

 そうして出合った品物に真摯に向き合えば、今宵の酒が待ち遠しくなる佳品を、市井の中から見つけ出す機運に恵まれる。

 さて、今回は、そのように手軽に買えた2点を紹介したい。

 

 
 

 

 写真左は、小振りの山盃の無地唐津。高台は小さく、見込みは一段と深い。傷気は少なく、初期伊万里の徳利と相性がいい。

 写真右も山盃だが、こちらは黒唐津。こんな小さい黒唐津の盃は初めてなので、知り合いの陶芸家に見せてみると、「これは、昔の職人が窯の神様に水を供えるために作ったのでは」と、しみじみする意見をいただいた。

 そう。「しみじみ」。

 唐津はしみじみと味わうものだった。

 夏の時分から常用していた片口を徳利に替えて、少し熱めの澗をして、若い頃を偲びながら、チビチビ、しみじみ、小さな盃を傾けよう。(文・勝見充男、写真・吉井裕志 毎月第2金曜日掲載)


かつみ・みつお 1958年、東京・新橋で古美術商を営む家に生まれる。10代から西洋骨董に目覚め、大学卒業後、10年間、西洋骨董店で修業。その後、古美術「自在屋」4代目を継承。東京・渋谷区の自宅に店を構える。著書に『骨董自在ナリ』(筑摩書房)など多数。


【解説】山盃のこと

 連載第三回目は山盃(ヤマハイ)について。なぜヤマハイと呼ばれるのか…逆さにしたら山みたいだから、なんて皆さんおっしゃいますが、実のところ正確にはわかっていません。確かに逆さにすると「なるほど、山みたいだ」と腹落ちはするけれど。

 そういえば、瀬戸の古いやきもんにも山盃、といわれるものがあるし、山茶碗なんてのもあります。いずれにせよそんなに昔につけられた名称ではなく、遡っても昭和のあたまぐらいなのかなぁ、と思ったりしています。佐賀県が大好きな僕はこういった碗なりの盃を見ると「ああ、逆さにしたら唐津の高島に似ているなぁ」なんて思ってしまいますが。そういえば15年前に僕がはじめて買った古唐津の盃も勝見さんと同じく山盃でした。出張先の徳島で見つけて、分割で支払ったのを覚えています。はじめて買った盃ゆえ、絶対手放さんぞ、と思っていましたが…まんが「へうげもの」にかぶれてしまい、どうにも織部の向付が欲しくなって、その下取りに出してしまいました。今は何処にいるんだろうなぁ。

 

筆者旧蔵の古唐津山盃

 さて山盃についてです。陶工が蹴轆轤(けろくろ)でサッと陶土を引き上げて、頃合いよく糸でキュッ、と轆轤台から切りはずす。それを高台を削らず(糸切り高台)に釉薬をかけ焼成した、今の基準で盃になるサイズのものを言います(古唐津には茶碗サイズの糸切り碗もある)。高台をみると勢いのある轆轤さばきがうずのような文様になっています。

 

山盃陶片 有田町小物成窯跡にて(2016年)

 

 作成手順がシンプルゆえ雑器扱いされますが、なかなかどうして魅力のあるやきもんです。茶陶のように細かな指示があって作られたものではなくて、陶工達が大量生産していたもの。ゆえに作り手は創意をこらす、というのではなく、ただ無心に轆轤をひいていたのでは?と思わせる、陶工の手癖みたいなところが多々見いだされて面白いのです。釉薬の掛け方も作為がなく、なかには面白い窯変を見せているものがあったり…そんな意図せずしてのイレギュラーさが僕のようなやきもん好きのハートをぎゅっ、と掴むのです。

 今では盃とされていますが実際のところ当時、何に用いられた器なのかハッキリとわかっていません。「お酒でしょ!」と言われそうですが、これらが作られた時代はようやく清酒が出回るようになったころ。それゆえ盃、と言い切ってしまうのはいささか乱暴だったりするのです。一方、向付とするには造りが粗野で、また生産数も多く、専門家の検証が待たれるところです。唐津市佐里の作陶家、梶原靖元さんに「山盃の本来の使用用途ってなんですか?」をきいてみると「昔は墓前によく、こんなウツワに酒をいれてお供えしてあったよ」という興味深いお話があったことも記しておきます。いずれにせよ、今はのんべえさんのお供になってくれているのでまぁそう深く考えずに、というところでしょうか。

 山盃は古唐津が生産されていた安土桃山から江戸初期にいたるまで、ほぼ全ての窯で焼かれていたようです。その種類も斑唐津に、口辺に装飾として鉄釉を巡らした皮鯨(かわくじら)、そして無地唐津や鉄釉をかけた黒唐津とバラエティに富んでいます。今回勝見さんが綴った二つの山盃、そのうち無地唐津はその独特の釉調、粒子の細やかな陶土からして佐賀県西松浦郡有田町の原明窯、長崎県佐世保市の葭ノ本窯、柳ノ本窯あたりで作られた、所謂「平戸系」の発掘ものであるように推測されます。

 

有田町の原明古窯を歩く勝見さんと筆者(2016年)

 もう一つの鉄釉をかけた、いわゆる黒唐津は推定はとても難しいのですが…陶土からして佐賀県武雄市、その北部、古那甲ノ辻を中心に左右の谷戸にひろがる古窯群(李祥古場、祥古谷、杉ノ元、山崎御立目、錆谷、小峠、葦ノ谷、古屋敷、一位ノ樹山など)で作られ、発掘されたものではないか、と僕は思っています。

 

武雄市武内町の李祥古場窯跡

 いずれも小さくて、なんともかわいらしい盃。特に無地唐津は発掘ものにしては傷気も少なく、深い見込の窯変が美しい。お酒を注いでは毎度その変化をたのしみ、呑み干してはのぞきこんだり、と晩酌が楽しくなる器量を兼ね備えています。フレッシュな純米酒だったらいくらでもいけてしまいそうです。そして黒唐津。これは小さい、というよりちっちゃい、という表現がぴったりな佳品。暴れる鉄釉の野趣加減も好ましいものです。大ぶりが多い古唐津にあっては珍品ともいえるサイズで、こんな盃で古酒をじっくり味わえたらウィークエンドがどんなににか楽しいことだろう、と思ってしまいます。

 さて、令和元年も師走に入りました。ここ東京でも佐賀ん酒の評価が一層高まり、扱うお店も増え、触れる機会が確実に増えましたように感じます。いやぁ、ホント良いことです。来年も勝見師匠と古唐津の盃を通じて、豊かな佐賀の魅力を綴っていきたいと思います。 (文・村多正俊)

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