文化勲章の受章が決まった中野三敏さん/文化勲章の受章が決まった中野三敏さん

 11月27日、文化勲章受章者で、江戸文学研究の第一人者として知られる中野三敏(みつとし)九州大学名誉教授=武雄市出身、東京都=が亡くなった。生前、中野氏を師とあおぎ、研究仲間でもあった日本文学研究者で国文学研究資料館(東京)の館長ロバート・キャンベルさんに話を聞いた。

 1985年に来日するまで、米ハーバード大学の大学院生として江戸文学を専攻していた。大学の図書館で中野先生の研究を読んで傾倒し、直接指導を得たく手紙を出した。気持ちよく受け入れてもらって九大に行くと、想像もつかないような豊穣(ほうじょう)な世界が広がっていた。

 九州一円の文献を訪ねて、佐賀なら祐徳稲荷や鍋島家の蔵書を書誌的に目録を作ったりした。そこで、「文献資料の力」というものを、先生を通じて知ることができた。

 研究室に採用され、日本にとどまって原資料にあたりながら、自分のオリジナルな研究の基盤を作ることができた。11年間、教え子として、同僚としてそばに仕えた。

 今、私たちが生きている時代は、フェイクニュースの時代でもある。何が事実か、そうではないかが判断しづらい。あるいは、フェイクをきっかけに人々が反目し合う。

 先生は、とにかく信憑(しんぴょう)性のある原資料を大切にしていた。つまり根拠を、自分の目で自分の足で探して確定をし、それでいて盲信はしなかった。原本にしても複数あれば、つきあわせてみる。

 研究態度は狭く狭く、ぐっと入っていく。しかし、そこから非常に大胆な発見を示していった。重箱の隅をつついて、そこから抜けて、広い世界が見えないとだめだという立場だった。

 先生は“興味の泉”のような人で、生来の人好き。だから、江戸時代の伝記研究ともなればピカイチで、もっともさえる。深くて、読んでいて、吸い込まれるような文章を書かれた。

 後半生、先生は社会への発信力を強められ、「和本リテラシー」、つまり、くずし字を読む重要性を指摘していた。江戸や明治期に書かれたくずし字が読めなくなったことからもたらされた、日本の近代の脆弱(ぜいじゃく)さへの強い危機感があった。

 「謦(けい)咳(がい)に接する」という言い回しがあるが、先生はとても良い声をされていた。重みがあるけれども、よく通る。その声にずっと導かれてきた。

 日本語が母語でない僕は、先生の語りをなぞっているところがある。語り方や、言い回しや間の置き方、いろんなことを学んだ。これから先生の声が聞けないと思うと、自分の一部がえぐり取られるような、生々しい痛みを感じる。(談)

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