第三章 疾風怒濤(三十八)

 大隈は近くの枝に手綱を巻くと、平然と向き直った。大声で名乗ろうとしたが、走ってきた男たちの中に近習(きんじゅう)の広澤達之進を見つけたので、「よおっ」と声を掛けた。
 たちまち広澤の顔色が変わる。
「また、お前か」
「ああ、わしだ」
「今度は何だ」
 広澤が泣きそうな顔をする。
「ご老公に意見を申し上げに来た」
「何の意見だ」
「時勢に関することに決まっているだろう」
「だめだ、だめだ。先日も江藤さんが来て、たいへんな騒ぎだったからな」
「えっ、江藤さんは謹慎中にもかかわらず、押し掛けてきたのか」
「当たり前だ。あの人は命知らずだ」
 常の場合、蟄居(ちっきょ)謹慎中の者が外出すれば、一も二もなく切腹を申し付けられる。だが江藤という男は死を恐れていないのか、自分が死を賜るわけがないと自負しているのか、藩法など全く意に介さない。
「それでも、ご老公は江藤さんにお会いになられたのだろう」
 広澤が気まずそうな顔でうなずく。
「特別にお目通りが叶った」
「では、わしもだ」
「いや、だめだ」
「謹慎中の者を会わせて、謹慎中でない者を会わせないのは理屈に合わないだろう」
 そう言われると、広澤にも反論の余地はない。
「これを頼む」
 広澤に大小を預けて押し通ろうとすると、大隈の大小を抱えたまま、広澤が行く手を阻んだ。
「ご老公はお疲れだ。明日にせい」
「だめだ。わしは待てても時は待ってくれぬ」
「妙な理屈を言うな」
 その時、背後の暗闇から声がしたので、警固の士たちに緊張が走る。
「大隈は速いな」
「奴はいち早く、最も上等な鞍を取ったので、尻が痛くなかったんですよ」
「しかも、自分が一番いい馬に乗りおって」
「普通は、年上に一番の馬を譲るべきです」
 副島と大木の二人が姿を現したので、広澤が困りきった顔をする。
「副島さんに大木さんも一緒ですか」
「そうだ。三人別々に来るよりましだろう」

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