第三章 疾風怒濤(三十四)

「普通はさ、あんたぐらいの年だとやりたくてやりたくて、一晩揚げたら何度も挑んでくるもんさ。それがあんたときたら――」
 藤花の言葉に、「ははは」と大隈が苦笑いする。
「あたしとじゃ、一回で充分とでも言いたいのかい」
「そんなことはない。ただ戒めを守っているのだ」
「何よ、それ」
 藤花が不満そうな顔をする。
「わが家中には、『葉隠』という武士の心構えが書かれた書物がある」
「ああ、それくらい知っているよ。あたしが何人の佐賀藩士と寝たと思っているんだい」
 それに構わず大隈が続ける。
「そこには、『いつ何時、主君に変事があるかもしれない。その時のために気の力を常に蓄えておく必要がある』と書かれてある。つまり『飯は腹八分目』『色ごとは一夜に一度だけにしておけ』ということだ」
 二つの例え話は、話を分かりやすくするために大隈が作った。
「なるほどね。それが武士の心得なんだね」
「ああ、今すぐに主君の許に参上せねばならない時、女郎に精気を抜き取られ、疲れ切っているようでは、ろくな働きもできん」
 顔に白粉をべたべた塗りながら、藤花が感心する。
「でも、すぐに殿様の許に駆け出していかなければならない用なんて、そうそうはないんだろう」
「まあな。一生にあっても一度か二度くらいだろう」
 その時だった。引田屋の表が何やら騒がしくなった。
「あれっ、何だろう」
 続いて怒鳴り声が交錯すると、階段を駆け上がってくる複数の足音が聞こえてきた。どうやら誰かを探しているらしい。
 ――捕吏(ほり)か!
 長崎奉行所の捕吏が手入れをしているのかもしれない。
 大小は店に預けてあるので手元にない。致し方なく大隈は着物だけでも引き寄せた。
 ――密貿易だな。
 捕吏が大隈を捕まえに来たとなると、それしかない。
 ――少し調子に乗りすぎたな。

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