中曽根康弘元首相が死去した29日、佐賀県関係者からも悼む声が上がった。「戦後政治の総決算」を掲げて行政改革を推し進めた政治家を「理想主義のリアリスト(現実主義者)」「毅然とした政治家だった」と評した。

 秘書を20年以上務めた元参院議員の田中茂さん(62)=武雄市出身、東京在住=は「政治家として何をすべきか、揺るぎない信念と明確なビジョンを持っていた」と振り返る。

 メモ魔で、トイレや枕元、車の中などにメモ帳を常備し、浮かんだアイデアを「逃げないうちに」と書き留めていたという。ポケットには俳句用とメモ用のノートを入れていた。読書家でもあり、哲学書から小説まで幅広く読んでいた。

 「結縁、尊縁、随縁の『三縁』を大切にしなさいと言われたことがある」と田中さん。国鉄改革などを実践した一方で縁を大切にする一面があった。「『歴史から学べ』ともよく言っていた。極めて日本人的な合理主義者だった」と話す。

 中曽根内閣時代に主席内閣参事官だった古川貞二郎さん(85)は官房副長官時代も含めて11の内閣に仕えた。「仕えた中で後藤田正晴氏が官房長官を務めた中曽根内閣が、最もいい内閣だったように思う。やるべきことが明確で、毅然(きぜん)とした姿勢で実践する内閣だった」

 中曽根氏から「若い時に政治家としてやるべきことをまとめたノートが30冊ある」と聞いたことがある。「『公』や『国家』を強く意識し、物事に毅然と取り組んでいた」としのぶ。

 中曽根内閣で農林水産政務次官を務め、1985年のドイツ・ボンサミットに随行した保利耕輔元自治相(85)は「派閥は違ったが、目をかけてもらった。非常にアクティブで努力される人だった」と話す。野党時代に取りまとめた自民党の憲法改正草案を中曽根氏に報告し「よく聞いて、評価してもらった」と振り返った。

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