大木喬任肖像写真(幕末~明治初年、個人蔵)

 佐賀城本丸歴史館で開催中の開館15周年記念特別展「東京をつくった佐賀人たち」では、2020年の東京オリンピック・パラリンピックを前に、東京のなりたちに深く関わった佐賀県出身者を紹介しています。

 大木喬任・江藤新平による東京設置の提唱、第2代東京府知事を務めた大木の業績、大隈重信ら「築地梁山泊」のメンバーによる煉(れん)瓦(が)街と鉄道の計画、そして首都の顔となる建築を手がけた建築家の曾(そ)禰(ね)達蔵・辰野金吾などのトピックに関連する多彩な資料を展示しています。

 本展覧会の主役は大木喬任です。「佐賀の七賢人」の一人でありながら、普段はあまりスポットの当たらない大木ですが、明治のはじめ東京が首都となる過程で重要な役割を果たしました。

 慶応4(1868)年2月、佐賀から京都に上った大木は新政府の最有力者であった三条実美(さねとみ)に1通の意見書を提出します。「江戸を『東京』と定めて、東京~京都間を鉄道で結ぶべし」という主張でした。

 あまりにも斬新な構想に対して三条は時期尚早と判断したのでしょう、この意見書が日の目を見ることはありませんでした。その2カ月後、江戸から江藤新平が合流し、大木の構想の骨子を残しつつ江藤独自の情勢分析を反映して大幅に改訂し連署のうえ岩倉具視に提出します。

 「東京」という名称のいち早い提唱であり、現在の東海道新幹線にも通じる大鉄道網の計画に言及した先見的な提言と評価されています。実際に新政府の方針決定に大きな影響を与えました。

 会場では、宮内庁宮内公文書館が所蔵する大木・江藤の意見書の写しに加えて、新政府が東京設置を公式に宣言した「東京奠(てん)都(と)の詔書案」(重要文化財、海の見える杜美術館蔵)をご覧頂くことができます。

 後者は政府内で作成・回覧された決裁文書ですが、大木が文言の修正を求めるコメントを付けていたり、決裁覧に大木の名前が載っていたりする点が見どころです。

 佐賀では目にする機会の少ない貴重な資料をぜひご覧ください。

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