【日本人墓地】明治時代、日本人が入植しマニラ麻の栽培に携わったダバオ市。日本人街があったミンタル地区には日本人墓地が残っている。しかし、1960年代以降、日本軍が残したとされる「山下財宝」を探し求めるトレジャーハンターによって荒らされた墓もある

 フィリピンで旅情に浸るのはちょっと難しい。首都マニラの息苦しいほどの交通渋滞や、国民の平均年齢が24・2歳という若さが放つ、この国の熱量のせいだろうか。あるいは、日本の「過去」と「現在」が透けて見えるからなのかもしれない。共同通信加盟社の論説研究会で10月、現地を歩いた。(論説委員長・桑原昇)

 

 南部ミンダナオ島最大の都市ダバオ。船舶用のロープなどに重宝されたマニラ麻(アバカ)の一大産地として名をはせた歴史は、日本人移民の汗で記された。1903(明治36)年に入植が始まり、戦前には2万人近い日本人が暮らしたという。

 太平洋戦争開戦後、日本軍が占領したこの島は米軍やフィリピン人ゲリラとの激戦の舞台となり、戦後、根強い反日感情を引きずっていく。混乱の中でこの地に残った日本人や、日本人との間に生まれた子どもたちは旅券を焼き捨てるなど、日本人であることを隠して生きることを強いられた。無国籍の日系人問題は手つかずの戦後処理である。

【戦場の歴史】特攻隊が出撃したマバラカットからほど近いバンバンには戦時中、4万人の日本兵が駐留、米軍との激戦地の一つになった。住民のロニー・テラクルスさん(49)=写真=はこの地に残された戦争の遺物などを収集し、私設の「歴史博物館」を開設した。「日本人もフィリピン人も戦争のことを忘れてはならない」と語る=タルラック州バンバン
【特攻の記憶】太平洋戦争末期、劣勢に陥った日本軍はレイテ沖海戦で特攻隊による体当たり攻撃に踏み切る。編成された「神風特攻隊」が初出撃したのは1944(昭和19)年10月21日、フィリピンのマバラカット飛行場からだった。現在、飛行場跡には日本語の慰霊碑が建てられている=パンパンガ州マバラカット
【大統領の自宅】ダバオ市はドゥテルテ大統領が20年間、市長を務めた地元。今も公務のない週末にはここで家族と過ごす。本人が不在の時はすぐそばまで見学できる。等身大のパネルが置かれ、人気の観光スポットになっている
【スラム】経済成長著しいフィリピンだが、一方で貧困層が肩を寄せ合うように暮らす地域も=ダバオ市内

 戦争がこの国に残した反日の空気が明確に変わったのは、ほんの最近の90年代以降。経済発展を遂げた日本は憧れとなり、出稼ぎ帰りの豊かな暮らしぶりは十分に扇情的だった。

 現在、6%近い経済成長率を誇るフィリピンは人口1億580万人。年間2%ずつ増加を続け、2028年には日本を追い越すと予想される。今や平均年齢が46歳と、親子ほども離れたわが国が、ずっと憧れのままでいられるか。残念ながら「未来」の答えまで、かの国に転がっているわけではなかった。

【ドリアン】
【セブ島】

 

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