天皇陛下は皇位継承に伴う一世に一度の重要祭祀(さいし)とされる「大嘗祭(だいじょうさい)」に臨まれる。中心儀式「大嘗宮(だいじょうきゅう)の儀」では、14日夕から15日未明にかけて皇居・東御苑に設営された祭場の大嘗宮で、皇祖神(こうそじん)の天照大神(あまてらすおおみかみ)や全ての神々に新穀を供え、自らも口にするなどして国家・国民の安寧と五穀豊穣(ほうじょう)を祈る。皇后さまも皇族と大嘗宮内で拝礼される。

 三権の長や自治体首長ら約700人が参列。天皇家の私的な祭祀で、神道形式で営まれる。7世紀後半、天武天皇や持統天皇のころに始まり、もともと簡素な祭祀だったといわれるが、天皇の神格化を進めた明治政府が儀式の段取りを「登極令(とうきょくれい)」に定め、大々的に挙行されるようになった。

 戦後、現行憲法で天皇は「現人神(あらひとがみ)」から「象徴」となり、政教分離が規定された。登極令も廃止されたが、政府は平成の代替わりの時も、今回も登極令にあった形式を踏襲。このためだけに社殿など大小30余りの建物から成る大嘗宮を建てた。儀式終了後に取り壊される。祝宴「大饗(だいきょう)の儀」もあり、大嘗祭には27億円の国費が支出される。

 政教分離に反するとの批判は尽きない。「即位の礼」を巡っても疑問の声がくすぶる。古来の伝統を今の時代にどのように調和させ、受け継いでいくか。政府は丁寧に議論を積み上げ、国民の間に理解を広げていく努力を怠ってはならない。

 大嘗宮の儀は古来変わらぬ所作で執り行われるとされるが、そのほとんどは非公開。「神と一体化する儀式」とする見解もある。宗教色が強いため、政府は平成の代替わりに際し、国事行為として行うのは困難だが、憲法が定める皇位の世襲という公的性格があるとの見解をまとめ、国費の支出を決定。今回は早々に前例踏襲を決め、議論らしい議論はなかった。

 そんな中、皇嗣(こうし)の秋篠宮さまが昨秋の記者会見で、大嘗祭について「宗教色が強く、国費で賄うべきではない」と述べられた。政府が決めたように皇室の公的活動費「宮廷費」からではなく、私的経費「内廷費」から費用を出し「身の丈に合った儀式」にすべきだとした。内廷費は「お手元金」と呼ばれ、公金ではない。政教分離を念頭に置いた発言とみられる。

 大嘗宮を建てず、宮中にある神殿を使うことも提案したが、宮内庁は聞く耳を持たなかったという。その神殿では毎年秋に新嘗祭(にいなめさい)が催される。大嘗祭は天皇が即位後初めて行う新嘗祭だ。だが祝賀ムードの中で議論が深まることはなかった。

 政府にとって、前例踏襲が最も無難だろう。何かを変えれば説明が必要になり、保守派の反発を招く恐れもある。ただ平成の即位の礼と大嘗祭を巡り市民らが違憲確認などを求めた訴訟で1995年3月、大阪高裁判決は大嘗祭について「国家神道に対する助長、促進になるような行為として、政教分離規定に違反するのではないかとの疑義は一概には否定できない」との判断を示した。

 即位の礼も、神話に由来する玉座「高御座(たかみくら)」が用いられるなどし「宗教的な要素を払拭(ふっしょく)していない」と指摘した。この判決は確定しているが、政府関係者は「最高裁の判断ではない」と取り合おうとしない。しかし象徴天皇制が国民の理解と支持の上に成り立つことを考えれば、疑問や批判を置き去りにせず、真摯(しんし)に向き合う必要がある。(共同通信・堤秀司)

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