桜馬場遺跡の出土品から。左上は弥生時代後期の「ガラス小玉」。右下は近現代~現代の「ガラスビーズ」

龍溪顕亮氏によって書かれた「漢鏡伴出之弥生式後期甕棺実

副葬品と共に混じっていた腐食した近現代の日用鉄器類

「戦時中の大発見-桜馬場遺跡のナゾを探る-」展の会場。手前左は副葬品が入っていた「宝器内蔵甕棺」=唐津市菜畑の末盧館

 唐津市桜馬場にある桜馬場遺跡の謎を探る企画展「戦時中の大発見」が、同市菜畑の末盧(まつろ)館で開かれている。同遺跡は防空壕を掘っていた際に偶然発見した弥生時代後期の末盧国王墓で、後に埋め戻され、多くの謎が残された。平成の再調査で副葬品のほか、鉄製品やガラスなど近現代の物が混じっていたが、科学的調査で時代を特定でき、同遺跡の解明に一歩前進した。12月8日まで。

 太平洋戦争まっただ中の1944(昭和19)年、民家の庭先から防空壕を掘っていたところ、遺跡を発見。当時、新町の正圓寺住職で郷土史家の龍溪顕亮(たつたにけんりょう)氏は見聞調査を行い、出土した鏡、甕棺(かめかん)などをメモした。戦後、防空壕は埋め戻され、民家が建てられた。

 甕棺以外の副葬品は研究者によって学会で紹介され、全国的な話題になった。48(昭和23)年に奈良国立博物館で展示され、現在は国重要文化財として、佐賀県立博物館に収められている。龍溪氏はメモなどを基に詳細な経緯などを記した実測図をまとめており、遺跡を伝える貴重な資料となった。

 2007(平成19)年、遺跡の再調査が行われた。龍溪氏の実測図を参考に、戦前に取りこぼしたと思われる副葬品や甕棺片も再出土した。当時、防空壕は2カ所以上掘られ、土をまとめて埋め戻したため、弥生から現代の物まで混ざっていた。

 今回、資料の一部を長崎県埋蔵文化財センターで分析。さびに覆われた鉄製品をレントゲン撮影したところ、鏃やじりと思っていたのが、現代の五寸釘くぎであることなどが判明。ガラス小玉もエックス線分析で弥生期と近現代の物が判別できた。

 今展では銅鏡類や全国でも珍しいフックの付いた「巴形銅器(ともえがたどうき)」など全129点を展示。また、戦時中の金属供出で下が大幅に掛けた「広形銅矛」や、底面に番号がある統制磁器など戦争の影を思わせる資料も並ぶ。

 濱口尚美学芸員は「まだまだ謎の多い遺跡だが、今回科学分析で新たな情報が得られた」と話す。入館料一般210円、小中学生100円。月曜休館。

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