佐志くんち翌日、獅子頭を持って小学校や保育園を回る演者の住民=10月21日、唐津市立佐志小

 唐津神社の秋季例大祭「唐津くんち」が幕を閉じた。今年は1番曳山(やま)、刀町の赤獅子生誕200年の節目で、町人文化が花開いた文化文政年間から連綿と続いてきた歴史を振り返りつつ、継承への思いを新たにする3日間だった。

 と同時に町廻(まちまわ)りの最終日、哀調を帯びた笛の音に祭りの季節が終わる寂しさも感じた。

 山と海に囲まれた唐津・東松浦地区は五穀豊穣(ほうじょう)に加え、疫病や海難からの加護を願うこともあって、7月の浜崎祇園山笠(やまがさ)以降、毎週のように各地で山笠が巡行し、浮立が奉納されてきた。

 そうした祭りにも時代の波が押し寄せる。

 記者が「さが山の風景」でリポートしたが、厳木町の鳥越浮立は人口減少で存続の危機に瀕(ひん)しながら高齢層も加わって継続へ努力する。肥前町の港町、星賀くんちは一般参加の曳(ひ)き子を募って山笠を挙行した。海沿いの佐志くんちは後継者育成のため、数年前から子どもたちを対象に笛の練習会を始めた。くんち翌日は露払いの獅子を持って小学校や保育園を回り、祭りの雰囲気を感じてもらう。

 にぎやかなハレの日の裏で地道な取り組みがある一方、鳥越地区に近い厳木町の星領浮立は2年続けて中止となった。祭りを取り巻く現実を知るにつけ、その原点と今日的意義に思いを巡らす。

 赤獅子生誕200年に際しては由来がクローズアップされた。刀町の町人石崎嘉兵衛が伊勢参りの帰り、京都に立ち寄った際、祇園祭の山鉾(やまほこ)に触発され、赤獅子制作を思い立ったという話だ。

 豪華絢爛(けんらん)な山鉾巡行、勇壮なみこしの渡御(とぎょ)。祇園祭は華やかさに目が行きがちだが、疫病退散を願う御霊会(ごりょうえ)が起源とされる。中世の大都市となった京都にとって夏場の疫病がいかに恐ろしい病気だったか。御霊会は都市の生活を守る都市民の祭りだった。

 さらに石崎嘉兵衛が見たという祇園祭は、京都御所や二条城を焼失し市街地の8割が失われた天明の大火(1788年)から復興を遂げつつあった頃。唐津市で講演した京都・大谷大の東舘紹見教授は「苦難を乗り越え、京の町と祭りをよみがえらせた町民・町衆の熱意と力が(石崎を)突き動かしたのではないか」と語った。

 祭りの成り立ちはさまざまで一概には論じられないが、各地の祭りがイベント、観光色を帯びる中で、節目節目に原点を再確認することは存続の力になるはずだ。

 加えて山あいの農村部や漁村は人口減少と産業の衰退に直面し、学校や施設の統廃合が進む。学校が閉校すると、住民が時間と空間を共有できる場は祭りしかない。

 祭りが終わり、日常に戻る。そしてまた時間と労力をかけて準備し、地域の絆を深めていく。それは災害時の共助の土台となる。災異が続いた秋に、あらためて祭りの意義を考えてみる。(吉木正彦)

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