「この本に懸ける父のエネルギーはすごかった」と振り返る小宮智幸さん=唐津市大石町の自宅

佐賀地方法務局の地図を基に、小宮弘資さんが作成した明治22~30年ごろの大石町の住宅地図の一部

小宮弘資さんが手書きした宝暦13年(1763年)の大石町東側の住宅地図

 6番曳山(やま)「鳳凰丸」の大石町が8月、『大石町の歴史』を発行した。7部構成の119ページに及び、町の変遷や長年暮らす町民家族のルーツのほか、鳳凰丸にも18ページを割いている。

 編集長として情熱を傾けた小宮弘資さんは、完成を見届けることなく、3月に亡くなった。81歳だった。2017年にがんを発病して完治したように見えたが、翌年に転移が見つかり、残りわずかな命と悟った。「町の歴史を形にして残したい」。印刷業を営んでいたこともあり、町史の編さんを思い立った。

◆江戸期に隆盛

 1846(弘化3)年に製作された鳳凰丸に関するページは町民の力を借りて原稿を集めたが、町の移り変わりは小宮さんがほぼ一人でまとめた。江戸や明治当時の住宅地図の作成には特に苦労したという。登記を調べるため、弁当を持参して法務局で1日中資料を読み込むことも。持ち出しやコピーが禁止された資料も多く、小宮さんが手書きした住宅地図も掲載されている。

 唐津城の城下町の一つとして16世紀後半に形成された大石町。本では、江戸時代の姿を「町人の中心地」とし、明治以降は「藩主の庇護(ひご)もなくなり、商工業の立地もそれまでとは変化し、次第に商業の中心地としての地位を失っていった」と記述している。

 小宮さんの長男で、同町の副取締を務める智幸さん(51)は「命を削ったかもしれないが、この本があったから闘病も耐えられたと思う」と振り返る。病院のベットでも最後まで原稿をチェックしていた小宮さん。「あとは頼む」と仲間に言い残し、この世を去った。

 本づくりは昨年6月から取りかかり、5月に完成予定が、リーダーを失い、8月にずれ込んだ。町民でつくる編集委員23人のうち、70~90代の2人もこの間に亡くなった。町内会長の坂本一夫さん(73)は「町の歴史を語る人が少なくなってきている。(本の発行は)ぎりぎりのタイミングだった」と話す。

◆父のメッセージ

 9月末時点で124世帯232人が住む大石町。曳山がある14町の中では多い方だが、この10年で2割減り、くんちで中心となる若い世代が少なくなっている。「くんちを続けるためには若い人がいる。町に愛着を持ってもらうのに、この本が少しでも役に立てば」と智幸さん。本は400部発行し、住民や小学校、図書館などに配布した。

 小宮さんは本の一節に「町は鳳凰丸とともにある。鳳凰丸を我々が守り続けることが、町を守ることになる」と刻んでいる。「父の遺言みたいなものかな」。智幸さんが本を手にしみじみと語った。

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