六角川につながる下潟排水機場にあるゲート。牛島さんが指してる右のゲートが開いている状態で奥に見えるのが「まねき」といわれる扉。牛島さんは二つのゲートとも開けていたが、国交省職員が閉めた=杵島郡大町町下潟

 8月28日未明からの記録的大雨で、佐賀県杵島郡大町町の下潟地区は朝から1・5メートル近く冠水、近くの佐賀鉄工所大町工場からは油も流出した。ボートを使った住民の救出作業が続いていた昼過ぎ、下潟排水機場で、町からポンプやゲート(樋管)の操作を任されている牛島忠幸さん(62)と国土交通省の職員が向き合っていた。

 「なぜゲートを閉めた」(牛島さん)「上からの指示」(国交省職員)。牛島さんは「油は水面に浮いている。この水位なら下の水の自然排水は可能」と、ゲートを開けるよう主張したが、ゲートが動くことはなかった。浸水解消と六角川への油流出防止という二つの難題への対処法は真反対。現場はせめぎ合った。

役場から指示

 国交省武雄河川事務所はこの日午前9時半に大町町から油流出の情報を得た。午前11時ごろ、六角川への油流出を防ぐため、同町が管理している排水機場とゲート2カ所ずつのポンプ停止とゲートを閉じるよう要請した。

 牛島さんは27日昼から丸一日、自宅と行き来しながら排水ポンプを動かしていた。午前11時23分に役場から電話で指示があり、ポンプを止めた。ただ、水路と六角川を仕切るゲートは開けたままにした。昼過ぎ、「やけに水の引きが悪い」と感じて排水機場に行き、国交省職員と出くわした。 牛島さんは「ゲートの内側には六角川の水位に応じて水が出入りする『まねき』という重い扉がある。油はまねきから水が流れている部分より3メートル以上高い水面に浮いていた。下の方から自然に水を流すのに問題はなかった。油が流出するぐらいまで水位が下がればゲートを閉めればいいと考えた」という。

 2000年の排水機場完成時から操作を任されている牛島さんの見立てだったが、武雄河川事務所は「当時は六角川の水位はかなり高かったので自然排水は難しかったのではないか」とみる。牛島さんは「六角川を管轄する国が流させないというなら逆らえなかった。地区の人を守りたかったが…」と振り返る。

 下潟地区の男性は言う。「海を油で汚してはいけないことは誰でも分かる。ただ、私たちは命の危険さえ感じた。ノリと命とどっちが大切か。答えは明らかでしょう」。排水機場の北西約2キロにある武雄市北方町の民家では、浸水から逃げ遅れた女性が亡くなっている。

権限どこに

 水川一哉町長は「排水停止は驚いた」とし、早期の排水をめぐって武雄河川事務所と電話で激しいやりとりをしたという。「犠牲がなかったのは何よりだが教訓は多い。国交省は周辺状況をどこまで把握していたのか。一方的な要請でなく町と協議すべきではないか。そもそも町の排水機場の操作の最終権限はどこにあるのか」と疑問を示す。

 武雄河川事務所は「ポンプ停止要請時に周辺が冠水していることはカメラで確認していたが、深さまでは把握していなかった。操作の最終権限は管理している町にある」とし、「早期の排水と油の流出防止という二つに対応するため、最善の方法を取った」という。

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