写真説明:深江順房『雑記』のうち、堀屋ふみの手紙の写し(多久市郷土資料館蔵)

 江戸時代後期、鎖国のさなかにオランダへ渡った女性がいたと聞いたら、驚く人も多いのではないでしょうか。

 彼女の名はふみ。大坂の遊女でしたが、長崎丸山に移り、出島のオランダ屋敷へ出入りしていました。そのうちオランダ人テルユウと知り合い、1825年、ひそかにオランダに渡ります。2人の間には男の子が生まれ、テルユウの家族にも大切にされ幸せに暮らしていました。しかし望郷の想いが募り、1840年、親元へ手紙を書きます。ふみの手紙は2年後、長崎に届きました。

 「余り御なつかしく文にて申あげまいらせ候」に始まる手紙は、幕府に提出されましたが、その間に沢山書き写されたらしく、全国数カ所に写しが遺されています。多久家の家臣で学者でもあった深江順房の大量のメモの中にも、彼女の手紙が写されていました。順房に手紙の写しを見せたのは、多久出身の学者・文人として著名な草場佩川(はいせん)でした。佩川が誰かから見せられ、佩川自身も写し、それを順房が写したもと考えられています。

何人も経て書き写されたものであるため、歴史的価値は高くはありません。しかし、海を越え時を超え、家族を思う彼女の手紙は読む人の心をとらえています。(志佐喜栄・多久市郷土資料館)

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