第一章 気宇壮大(三十六

「でも窮理の基本は大切でしょう」
 久米が首をかしげる。
「その通りだ。それが分からなければ、佐野さんのような窮理の英才と話しても理解できず、また諸外国から軍艦を買う際にも騙(だま)される」
 久米が笑う。
「ははは、八太郎さんは、もう軍艦を買う時のことを考えているんですか」
「当たり前だ。大丈夫は大舞台に立った時のことを考え、日々、力を蓄えておくものだ」
「でも蘭学寮は、火術方や精煉方の人材を育成するところですよ」
「それは分かっているが、それらを学ぶ人材がいるなら、わしは別のものを学びたい」
「例えば――」
「法だ」
 大隈は科学関連の書籍に紛れて入ってくる法学書を読み、西洋諸国の法体系の精緻(せいち)さに感銘を受けていた。
「そうは言っても、法を作ったり改正したりするのは幕府ですよ」
「今はそうだが、この先はどうなるか分からないだろう」
「それはそうかもしれませんが――」
 久米が沈黙する。おそらく己の適性について考えているのだろう。
「丈一郎」
 大隈が呼び掛ける。
「何ですか」
「お前は負けず嫌いだから人に劣っている分野の学問があれば、そればかり懸命に勉強するだろう」
 久米が素直にうなずく。
「はい。当然のことです」
「それが間違っているんだ」
「何が間違っているんですか。学問とは、そういうものではありませんか」
「では、ここを読んでみろ」
 大隈が抱えていた蘭書の一冊を開き、それを久米に示す。
 そこには「人の長を長なりと認め、己が短を補う。人間の発達とは、そこから始まる」と書かれていた。
「つまり、不得手なものを捨て、得手なものに力を注げというのですか」
「そうだ。己が不得手と思うものは他人の頭で補う。そうすれば不得手なものを学ぶことに使う時間を得手なものを伸ばすのに使える」

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