昭和ひとけた世代の父は、世慣れた人ではなかったが、家族でちょっと食事に行くにもジャケットを羽織って出た。「そのままでいいのに」とあきれ顔を見せても、ただ黙って笑うだけだった◆父が亡くなった後、作詞家阿久悠さんの「普段着のファミリー」というエッセーを読んでいてはっとした。かつては家と社会の区別が厳然としてあり、〈家の中では相当にダレた姿をしていても、煙草を買いに出掛けるだけで社会用に、ジャケットの一枚も羽織ったものである〉◆社会には自分だけでは押し通せないことが山ほどある。時には他者に合わせなければならない。面倒でも一歩外へ出るのに着替えるのは、社会を尊重し仲間の一員として生きていくための作法だったのだろう。それを放棄した「普段着」の増殖を、阿久さんは嘆いていた◆そんな価値観も「同調圧力」とやゆされる時代である。三井住友銀行が東京、大阪の本店で行員の服装を自由にした。銀行員の堅いイメージを変え、新しい発想を生み出す狙いという。ネットを活用した在宅勤務も浸透しつつある。家と社会の区別があいまいになった現代の象徴かもしれない◆背広や制服に慣れたサラリーマンには「実力」が問われる普段着。ただ黙って笑顔を浮かべるしかないオヤジ行員の戸惑いを、つい同情混じりに想像してしまう。(桑)

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