第一章 気宇壮大(三十三)

 江藤が口角泡を飛ばして続ける。
「考えてもみろ。幕府の開国策が嫌いで、『攘夷、攘夷』と小攘夷を唱えている連中は、要するに幕府の海禁政策を支持していることになる。そんな矛盾にも気づかぬのだ」
 江藤が一呼吸置いた。大隈はこの好機を逃さない。
「江藤さんのおっしゃることは尤(もっと)もです。そのためにも、われらは学ばなければなりません」
「その通り!」
「私は『ナチュール・キュンデ』という本に興味がありまして、それを学びたいのです」
「よき心がけだ」
 江藤が積み上げられた書籍の中から『ナチュール・キュンデ』を取り出す。
「その本には、窮理(きゅうり)の原理が実利を生み出すもの、例えば蒸気機関などに結び付いていると聞きました。それで、その最も大事な部分を教えてはいただけないでしょうか」
「そなたは、蘭語ができぬのか」
「はい。まだまだ未熟なので、それを読んでも分からず、時間がもったいないと思いました」
 ――来るか。
 大隈は「馬鹿野郎!」という江藤の罵声を覚悟した。だが江藤は平然として言った。
「若いくせに時を節約しようとしているのか」
「いえ、はい」
 江藤が座り直す。
「見上げた心がけだ。人は己が死ぬとは思わぬ。だから何をするにしてものんびりしている。だが命なんてものは、いつ失うか分からぬ。だからこそ何事も早く行うことが大切だ」
「仰せの通りです。男子として生まれた以上、生きた証、すなわち事績を残さねばなりません」
 うなずきながら聞いていた江藤が問う。
「明日の朝は暇か」
「あっ、明朝に出直してこいと仰せですね。分かりました。それでは――」
「馬鹿野郎!」
 江藤の怒声が、周囲に降り積もった埃を舞い上げる。
「今から教えてやるから徹夜になる。だから明日の朝、お前はここで寝込んでいることになる。だから明朝に約束か何かないか問うたのだ」
「あっ、恐れ入りました」
 こんな埃の中で人が眠れるのかと思ったが、耳学問で『ナチュール・キュンデ』の重要部分が学べるなら、それも我慢できると思った。

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