「眼施(げんせ)」という仏教の教えがある。財力も何もない者でも世に施すことはできる―その一つが、やさしく思いやりのあるまなざしで周囲に接することだという◆大分の作家松下竜一さんは生後間もなく病気で右目を失明した。〈目に白いホシがあって、みんなから白眼(しろめ)となぶられ、いじめられた〉わが子に、母はこう語りかけた。〈目の星は、やさしさのしるしみたいなものなんだよ、竜一ちゃんの心がやさしければ、目の星がとても美しく光るんだよ〉。あれが眼施だったのではないか、と処女作『豆腐屋の四季』に書いている◆幼い子が夜たった一人で歩いていたら、その子の体にあざがあったら、住まいから悲鳴のような泣き声が聞こえたら…誰しも深刻な虐待を疑うまなざしを持った時代である。なのになぜ、という思いが消せない。鹿児島県出水市で4歳の女の子が亡くなった事件である◆警察に何度も保護され、児童相談所は母親の育児放棄を認定していたにもかかわらず、幼い命を守る手立ては尽くされなかった。解決に動くべき機関のまなざしは一体どこに向いていたのか◆「結愛(ゆあ)ちゃん」「心愛(みあ)さん」、そして「璃愛來(りあら)ちゃん」…世間で注目を浴びた虐待事件で犠牲になった子の名前を並べてみる。この世で知った「愛情」の記憶が名前の1字だけだったとしたら、あまりに悲しい。(桑)

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