第一章 気宇壮大(二十九)

「ご無礼仕ります」
 開け放たれた表口で怒鳴ると、「誰だ!」という声が返ってきた。
「大隈八太郎です」
「何、大隈だと--。入れ!」
 江藤は佐賀藩の長屋に一人で住んでいる。
 そこは手明鑓(てあきやり)と呼ばれる下士層の長屋なので、足軽長屋よりも少し広いくらいが長所だった。
 江藤の属する手明鑓という階層は、手明という言葉からも分かるように、平時に決まった役はなく、有事に槍一本に具足(ぐそく)一領で出陣せねばならない徒士(かち)階層だった。その俸禄(ほうろく)は一律切米(きりまい)十五石なので、足軽と紙一重の扱いである。
 大隈が框(かまち)に腰掛けようとすると、短い廊下の左右に、雪のような白い埃が積もっているのが見えた。真ん中だけ足跡が付いているのは、そこだけ通っているからだろう。
 草鞋を脱いだ大隈が、廊下の真ん中を恐る恐る通って奥の間に至ると、江藤は蓬髪(ほうはつ)をかきむしりながら何かを書いていた。
 江藤が振り向かずに問う。
「そなたが来るとは珍しいな」
「は、はい。江藤さんのお話しをぜひ伺いたく、罷(まか)り越したる次第」
「そう固くなるな」
 これまで近づきがたい雰囲気を漂わせていた江藤だが、こうして二人になると存外、話が分かるような気がしてきた。
「はい。では--」と言って大隈が正座から胡坐(あぐら)に座り直すと、背後を振り向かず江藤が言った。
「そこまで礼を失するな」
「申し訳ありません」と答え、大隈が正座に戻す。
 江藤は儀礼を重んじることでは、人後に落ちないところがあった。
「そなたは、わしを避けていただろう。それが此度は、どういう風の吹き回しだ」
「避けていたわけではありません。江藤さんはお忙しく、われら後進を相手にする暇(いとま)などないと思っていました」
 江藤は自分の関心のあること以外は眼中にない雰囲気を漂わせており、四歳も年下の大隈についても、全く関心を示したことなどなかった。
 --人とは本来そういうものだ。
 だが江藤はとくにその傾向が顕著で、年下の者を歯牙(しが)にも掛けないところがあった。

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