第一章 気宇壮大(二十六)

 佐野は口数が少ない男で、必要なこと以外は口にしない。だが、その口から出た言葉は貴重なものばかりなので、精錬方では一字一句を書き取る者がいるほどだった。
「佐賀藩の将来を担う俊秀二人が何用かな」
 空閑がすかさず言う。
「此度はご多忙中にもかかわらず--」
「挨拶はいい。それより何が聞きたい」
「ここにいる大隈八太郎が--」
 空閑が大隈を促す。
「これまでご尊顔を拝したことはありましたが、お話しするのは初めてです。それがし大隈八太郎重信と申します」
「ああ、知っておる」
「えっ、それは本当ですか」
「そなたは悪名高いからな」
 佐野の顔に笑みが広がる。
 --こいつは参った。
 だが、佐野の口調には親愛の情が籠もっていた。
「若い時は悪名が高いくらいでないとだめだ」
 それは、謹厳実直を絵に描いたような佐野の口から出た言葉とは思えなかった。
「われわれは『葉隠』を素読させられ、何事も上の者に素直であらねばならないと教えられてきた。しかし素直なだけでは、新たな時代は作れない」
「尤もです」
 大隈より前に空閑が膝を叩く。
「だが、そなたはやりすぎだ」
 空閑は肥後に遊学した折、ある肥後藩士と仲よくなり、寝そべって空を見ながら好きな歌や漢詩を吟じたことがある。その時に肥後藩士が、寝たままの姿勢で直正の漢詩を吟じたことに怒り、大喧嘩をしたことがあった。
「いや、あれは肥後藩士が無礼を働いたので--」
「寝たままで詩吟することのどこが無礼だ。本来、漢詩とはそうやって流布していったのだ。そなたこそ『葉隠』の亡霊に囚われている」
「ああ、はい」
 空閑が首を悄然(しょうぜん)と垂れる。
「むろん心のあり方として『葉隠』を信奉するのは間違っていない。だが凝り固まってはいけないのだ」
 大隈が同意しようとすると、それに先んじて佐野が問う。
「それで何の用だ」

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