第一章 気宇壮大(二十五)

「まだ眠っておらんぞ」
「これはご無礼仕(つかまつ)りました」
「『ナチュール・キュンデ』は、わしの飯の種だ。佐野を頼れ」
「分かりました。先生、いろいろありがとうございました」
 だがその言葉を言い終わる前に、大庭は頭を膳の上に載せたまま大鼾(いびき)をかいていた。
 大隈は苦笑すると、大庭邸を後にした。

         六
 大隈の親友の一人に空閑次郎八(くがじろはち)という男がいる。空閑の実父は藩主直正の剣術指南役を務めたほどの剣の達人として藩内で知られていた。
 空閑も父ほどではないものの、相当の剣の腕の持ち主だった。
 しかも陽気な上に気宇壮大(きうそうだい)な人物で、「日本を維持する四柱神(しちゅうしん)」として大隈、島義勇、自分、そして諸岡廉吉(もろおかれんきち)の名を挙げていた。諸岡は体格雄偉で柔道の達人として、藩内では知らぬ者はいない存在だったが、維新後に中央に出ることはなかった。
 その空閑の姉駒子こそ、佐野栄寿の妻である。
 佐野は大隈より十六歳年長の三十四歳で、この頃の佐賀藩で最も多忙な男として精錬方を切り回していた。
 佐野の家を訪問した二人が畏(かしこ)まっていると、駒子が茶を持ってきた。
「次郎八、佐野は多忙です。ご挨拶とお話が済んだら早々に切り上げるのですよ」
 駒子に釘を刺されても、次郎八は悠然としている。
「分かっております。われわれも忙しい身ですから」
 その言葉に大隈が噴き出すと、駒子はため息をついて行ってしまった。
 しばし待っていると、佐野が姿を現した。
 精錬方の頭人を務める佐野栄寿は文政五年(一八二三)、佐賀藩士の下村家に生まれ、その後、藩医を務める佐野家に養子入りしたが、幼少の頃から優秀で、直正の父で前藩主の斉直から栄寿(えいじゅ)の名を賜るほどだった。
 青年になると、藩費で大坂の適塾(てきじゅく)に学び、さらに江戸の象先堂(しょうせんどう)(伊東玄朴(いとうげんぼく)塾)の塾頭になっていたが、直正に呼び戻されて精錬方に出仕する。そこで機械、ガラス、化成品、電信などの技術開発で成果を挙げる。その後、直正から蒸気機関に専心するよう命じられ、蒸気船と蒸気機関車の精巧な模型を製作し、直正に献上した。

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