第一章 気宇壮大(二十一)

 弘化(こうか)元年(一八四四)、オランダ国王の使節が日本に開国を要求すべく、軍艦で長崎に寄港した折、直正は自らそれに乗り込み、大名として初めて鉄製大砲で装備された蒸気船を見学する。
 これに驚嘆した直正は、すぐに火術方(かじゅつかた)を設置し、反射炉の建設と鉄製大砲の製造に取り組むことになる。
 さらに嘉永(かえい)五年(一八五二)には精錬方(せいれんかた)を創設し、佐野常民(さのつねたみ)や「からくり儀右衛門(ぎえもん)(田中久重)」といった異能の才を起用し、蒸気機関、雷管、電信機、火薬、金属、ガラスといった軍事に直結した技術の開発に従事させる。それが安政(あんせい)五年(一八五八)の船手稽古所の創設へとつながっていく。
 こうした藩主も含めた熱狂の中、安政元年(一八五四)に、蘭学者の養成所である蘭学寮が創設された。その蘭学寮に、安政三年(一八五六)十月から大隈は通い始める。
 しかし生徒たちは大隈より年長で、はるかに先を進んでいる。しかも途中編入という形を取ったため、授業を聞いていても何のことやら分からない。そこで大隈は、最も優れていると目星を付けた教師の一人と仲よくなり、耳学問で追いつこうとした。

「大庭(おおば)先生、まずは一献」
 大隈が大庭雪斎(せっさい)の茶碗に酒を注ぐ。大庭は酒に目がない。
「そなたは、よく気がつくな」
 すでに大庭は坊主頭を朱に染めている。
 大庭は医者の家柄なので、頭を丸坊主にしている。いわゆる医者坊主の出身だが、好生館(こうせいかん)(医学寮)教導方頭取(教頭格)から蘭学寮の初代教導(同)に転じただけあり、佐賀藩内でも抜群に優秀だった。この時、大隈より三十二歳上の五十一歳である。
「先生のご著作の『民間格致(かくち)問答』を読むと、万物の法則のすべてが語られていますが、あれは本当なのでしょうか」
『民間格致問答』とはオランダのボイスの著作で、万物の法則、いわゆる物質の構成、慣性、引力、天体、水、大気の成分、電気、磁気などについて記している。それを日本語訳したのが大庭だった。また蘭学寮の教科書となった『訳和蘭文語』も大庭の訳による。
「そなたは『民間格致問答』を読んだのか」
 すでに大庭の呂律(ろれつ)は怪しくなってきている。
「読みました。いや、厳密には詳しい者に聞きました」

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