遠山(とおやま)香里(かおり)
 待(ま)ち伏(ぶ)せして、上杉(うえすぎ)政虎(まさとら)(謙信(けんしん))を斬(き)ろうとする加藤(かとう)段蔵(だんぞう)。ここで政虎(まさとら)さんが斬(き)られたら、歴史(れきし)が変(か)わってしまう! 亮平(りょうへい)くん、止(と)めて!

 ぐわっし!
 ぼく--堀田(ほった)亮平(りょうへい) --は、加藤(かとう)段蔵(だんぞう)さんの忍(しの)び装束(しょうぞく)の背中(せなか)のあたりをつかんで、引(ひ)いた。
「うわっ! なにをする!」
 段蔵(だんぞう)さんの声(こえ)は、馬(うま)のひづめの音(おと)と、兵(へい)たちの足音(あしおと)でかき消(け)される。
 忍(しの)び装束(しょうぞく)の背中(せなか)を引(ひ)っぱられて尻餠(しりもち)をついた段蔵(だんぞう)さんは、ぼくの腕(うで)を振(ふ)り払(はら)った。そして、ぼくの胸(むな)ぐらをつかんで、にらみつけてくる。
「亮平(りょうへい)、おまえ、なんてことをしてくれたのだ! 政虎(まさとら)を斬(き)りそこなったではないか!」
「だ、だって、段蔵(だんぞう)さん、いってたじゃないですか。『斬(き)れ。』と命(めい)じられて、『はい、わかりました。』と、見(み)ず知(しら)らずの男(おとこ)を斬(き)れるかって。段蔵(だんぞう)さん、ほんとうは斬(き)りたくないんですよね? だから、やとい主(ぬし)を転々(てんてん)としてきたんですよね? 織田信長(おだのぶなが)を最後(さいご)に仕(つか)える人(ひと)にしたいから、有終(ゆうしゅう)の美(び)をかざりたいからといっても、そもそも人(ひと)を斬(き)れない人(ひと)にはムリな話(はなし)なんじゃないですか?」
 段蔵(だんぞう)さんは言葉(ことば)を返(かえ)さない。
「だいいち、ぼくは、段蔵(だんぞう)さんに人(ひと)を斬(き)ってほしくないです!」
「う……。」
「人(ひと)を斬(き)るなんて、段蔵(だんぞう)さんには似合(にあ)いません。」
「うう……。」
 ほんとうは、似合(にあ)うとか似合(にあ)わないとか、どうでもよかった。ただ上杉(うえすぎ)謙信(けんしん)を斬(き)らせるわけにはいかなかったのだ。
「やはり、わたしに、人(ひと)を斬(き)るのは似合(にあ)わぬか。」
 段蔵(だんぞう)さん、がっくりと肩(かた)を落(お)とした。
「落(お)ち込(こ)まないでください。」
「落(お)ち込(こ)みたくもなる。」
「段蔵(だんぞう)さんは人(ひと)を斬(き)りたくないんですよね?」
「だが織田信長(おだのぶなが)のこと、わたしの動(うご)きをどこかで見張(みは)っているやもしれん。もし、わたしが政虎(まさとら)を斬(き)らなかったら……。」
 段蔵(だんぞう)さんが、身体(からだ)をびくりと震(ふる)わせる。
「こんどは、わたしが始末(しまつ)されるやもしれぬ。だから、わたしは、どうしても政虎(まさとら)と信玄(しんげん)を斬(き)らねばならん……。」
 最後(さいご)のほうの声(こえ)は消(き)え入(い)りそうだった。
「『がんばってください。』っていいたいところですけど、がんばっちゃダメですよ。」
 歴史(れきし)が変(か)わってしまいますから、というのはやめておいた。
「やはり……政虎(まさとら)を追(お)う。」
「だったら、ついていきます。」
 上杉軍(うえすぎぐん)が通(とお)りすぎた山道(やまみち)に出(で)たとき、妻女山(さいじょさん)の山頂(さんちょう)のほうから馬(うま)のひづめの音(おと)が聞(き)こえてきた。兵(へい)の声(こえ)もする。
 --「ああ、土壇場(どたんば)でクソをしたくなるとは! 出遅(でおく)れた!」
 霧(きり)のなか、馬(うま)が駆(か)けおりてくる。
「えい!」
 段蔵(だんぞう)さんが飛(と)んだ。
 馬上(ばじょう)の兵(へい)に体当(たいあ)たりをして落馬(らくば)させると、入(い)れかわるように馬(うま)にまたがった。落馬(らくば)した兵(へい)は意識(いしき)を失(うしな)っている。段蔵(だんぞう)さんが、ぼくのほうに手(て)を伸(の)ばしてきた。
「乗(の)れ!」

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 楠木誠一郎(くすのきせいいちろう)/作(さく)
 福岡県(ふくおかけん)生(う)まれ。「タイムスリップ探偵団(たんていだん)」シリーズのほか、『西郷隆盛(さいごうたかもり)』(講談社(こうだんしゃ)火(ひ)の鳥(とり)伝記(でんき)文庫(ぶんこ))など多(おお)くの著書(ちょしょ)がある。小学生(しょうがくせい)の頃(ころ)の得意(とくい)科目(かもく)は図工(ずこう)と社会(しゃかい)。

 たはらひとえ/絵(え)

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