第一章 気宇壮大(十八

 安房(あわ)があきらめたように言う。
「熊本藩の大砲は青銅砲のままで、砲台はいまだ少ないという」
「仰せの通り。黒船が来航しても、熊本藩は派閥抗争を続けていると聞きます」
 それとは逆に、直正は弘化(こうか)元年(一八四四)、藩に「火術方(かじゅつがた)」を創設し、鉄製大砲の鋳造に乗り出した。それまでは鉄よりも融点が低く鋳造が容易な青銅製大砲が主力だったが、強い火薬にも耐えられる(遠くまで飛ばせる)鉄製大砲の導入は海防上、必須だった。「火術方」は嘉永五年七月、試行錯誤の末、西洋の鉄製大砲に比肩するものを造り上げた。
「つまりそなたは、『日本一體(体)一致の兵備』を行わない限り、海防に意味はなく、今のように諸藩が独立した組織である限り、それもままならないというのだな」
「はい。すみやかに雄藩連合による公議政体に移行し、中央集権化を図り、国家が一丸となって富国強兵と殖産興業に邁進する以外に、外夷(がいい)から日本を守ることはできません」
 この理論は、すでに諸藩の有志の間で唱えられていることで、神陽が創案したわけではない。これは現行の体制を維持しつつ、徐々に中央集権制に移行していくという漸進的な国家改造案であり、老中の阿部正弘(あべまさひろ)も認めるところだった。
「なるほど、やはりそなたは傑物だ」
 安房がため息交じりに言う。
「それがしはいいとして、大隈のことですが――」
 突然、飛び出した自らの名に、大隈は驚いた。
「この者は極めて優秀ですが、口が達者すぎます。此度はご迷惑をお掛けしました」
「いや、わしの見えていなかったことを教えてもらい、たいへん役立った」
「では、この者の言うような教育改革を実践いただけますか」
 大隈が息をのむ。
「もちろんそのつもりだ。しかし事を急げば、反発する者も出てくる。それゆえ徐々に進めていこうと思う。とくに『文武課業法』は改めていくつもりだ」
 実際にこの四年後の安政(あんせい)六年(一八五九)、次第に緩められた「文武課業法」は全廃されることになる。
「それであれば、何も申し上げることはありません」
 神陽の顔に初めて笑みが浮かんだ。

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