第一章 気宇壮大(十六)

 実は神陽の父の南濠(なんごう)は、弘道館の教諭ながら朱子学を重んじず「日本一君主義」という尊皇思想を唱えた草分けの一人だった。
 それもあってか、藩は息子の神陽を江戸の昌平黌(しょうへいこう)に留学させ、朱子学を徹底的に学ばせようとした。しかし神陽は父よりも国学に傾倒し、「皇国の古典籍こそ学ぶべき」と主張していた。
 神陽が悠揚(ゆうよう)迫らざる態度で答える。
「日本において、『君』と呼べる存在は天皇を措いてほかなく、武士の君臣関係は天皇との間にだけ存在します」
「では、大名と家臣の関係は何とする」
「大名は幕府を通して天皇から拝受した禄(ろく)を、家臣に再配分する役割を担う機関です。それゆえ主従関係となりますが、この関係は契約を基にする一時的なものです」
「君臣関係を一時的なもの、と申すか」
「はい。君臣関係とは東照大権現(とうしょうだいごんげん)(徳川家康)が軍事力によって確立した政治体制であり、一時的なものです。あくまでこの国の政治の中心には天皇がおり、執政権を徳川家に預けているという形になります」
「なるほど、そういう考え方もあるのだな」
 安房が腕組みする。
 --さすが神陽先生だ。
 いかなる問いにも鮮やかに切り返せる神陽の賢さに、大隈は感心した。
「こうしたことは、日本古来の史学を学べば自ずとわかります」
 神陽は義祭同盟の若者に対し、『古事記』『日本書紀』『大日本史』といった純粋な史書から、『大宝令(たいほうりょう)』『職原抄(しょくげんしょう)』といった法律や官制の文献まで読むことを勧めていた。
「そこから何が得られる」
「日本人としての誇りや結び付きです。現行の体制の弊害として、われわれは一藩主義を貫くことになり、また鎖国を行うことで、概念としての外国の存在は意識できても、実害を及ぼす存在として意識したことはありませんでした。すなわち諸国の藩士にとっては、オランダやエゲレスも薩摩や肥後(ひご)も変わらないのです」
「その意識を変革させるために国学が必要だと説くのだな」
「その通りです。もはや現行の体制では外夷の侵攻に対抗できません。ご家老は薩摩公(島津斉彬)が唱える『日本一體(体)一致の兵備』をご存じですか」
 安房が力強くうなずく。

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