宮内庁初代長官田島道治による拝謁記の概要は次の通り。

 ▽張作霖爆殺

 昭和26(1951)年6月8日「張作霖事件の処罰を曖昧ニした事が後年陸軍の綱紀のゆるむ始めニなつた。張作霖事件のさばき方が不徹底であつた事が今日こんにちの敗戦ニ至る禍根の抑々そもそもの発端」

 27年5月30日「考へれば下剋上げこくじょうを早く根絶しなかったからだ。田中(義一)内閣の時ニ張作霖爆死を厳罰ニすればよかつたのだ」 

 ▽二・二六事件

 25年11月7日「青年将校ハ私をかつぐけれど私の真意を少しも尊重しないむしろありもせぬ事をいつて彼是かれこれ極端な説をなすものだ」

 25年12月26日「兎ニ角とにかく軍部のやる事はあの時分は只々ただただ無茶むちゃで迚とてもあの時分の軍部の勢は誰でも止め得られなかつたと思ふ」

 ▽日米開戦

 27年9月15日「世の中は兎角とかく表面、形ニ表ハれたものだけで批評をするもので、宣戦の詔勅の如きも宣戦した詔勅と単純ニいふていろいろいふが其内容をよく見、又またそれニ至る経緯又また苦心したものゝある事などは少しも考へない。只ただ形式上表面的の表ハれた結果ニついて批判する故誠ニ困る」

 ▽南京事件

 27年2月20日「支那事変で南京でひどい事が行ハれてるといふ事をひくい其筋そのすじでないものからウス/\うすうす聞いてはゐいたが別ニ表だつて誰もいはず従つて私は此事このことを注意もしなかつたが、市ケ谷裁判で公ニなつた事を見れば実ニひどい。私の届かぬ事であるが軍も政府も国民もすべて下剋上げこくじょうとか軍部の専横を見逃すとか皆反省すればわるい事があるからそれらを皆反省して繰返くりかえしたくないものだ」

 ▽太平洋戦争

 25年12月1日「米国が満州事変の時もつと強く出て呉れるか或いあるいは適当ニ妥協してあとの事ハ絶対駄目と出てくれゝばよかつたと思ふ」

 26年9月10日「東条(英機)が唯一の陸軍を抑え得る人間と思つて内閣を作らしたのだ。勿論もちろん見込み違いをしたといえばその通りだが」

 26年12月14日「平和を念じながら止められなかった」「東条内閣の時ハ既ニ病が進んで最早もはやどうすることも出来ぬといふ事になつてた」

 27年4月5日「太平洋戦争ハ近衛が始めたといつてよいよ」

 27年5月28日「東條は政治上の大きな見通しを誤ったといふ点はあったかも知れぬ」「強過ぎて部下がいふ事をきかなくなった程下剋上げこくじょう的の勢が強く、あの場合若もし戦争にならぬようにすれば内乱を起した事になったかも知れず、又また東条の辞職の頃ハあのまゝ居れば殺されたかも知れない。兎に角とにかく負け惜しみをいふ様だが、今回の戦争ハあゝ一部の者の意見が大勢を制して了しまつた上は、どうも避けられなかつたのではなかつたかしら」

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