第一章 気宇壮大(十四)



「弘道館への復学を許された件、まことにもってありがたいのですが、実はそれがしにも――」
 坂本が思い切るように言う。
「それがしにも好生館(こうせいかん)への入学をお許し下さい」
 大隈と安房が驚いて顔を見合わせる。
「どうか、ぜひ--」
 坂本が平伏する。その肩は震えていた。
 --五年後どころか、もう効き目があったか。
 時代は沸騰し始めており、坂本のような医者坊主の息子も、そうした熱気に煽られていたのだ。
 大隈が口添えする。
「差し出がましいことかもしれませんが、それがしからも坂本の希望を叶えていただけますよう、お願い申し上げます」
「そなたらには呆れた」
 安房の顔に笑みが浮かぶ。
「好きにせい」
「ありがとうございます!」
 二人の声が、雨音の激しくなった安房邸の庭に響き渡った。

         四
 佐賀城下の南に梅林庵という小さな寺がある。そこで五月二十五日、義祭(ぎさい)同盟による楠公祭(なんこうさい)が行われた。
 この寺には古くから楠木正成(くすのきまさしげ)・正行(まさつら)の木像が祀られており、国学者の枝吉神陽(えだよししんよう)は「楠木父子の尊皇の志を今に伝える」べく嘉永(かえい)三年(一八五〇)からこの祭祀を行っている。ちなみに安政元年(一八五四)からは参加者が増えたため、木像を龍造寺(りゅうぞうじ)八幡宮の祠堂(しどう)に移し、その境内で行われることになる。
 ちなみに五月二十五日は楠木正成の命日にあたる。
 今年で六回目となるこの催しに、初めて大隈は参加した。これまでも義祭同盟に出入りはしていたが、十八歳になり、ようやく加盟を許されたのだ。しかも鍋島安房を参加させたことで一躍、大隈は注目を集めることになる。
 また、あの騒ぎで大隈の友人となった坂本文悦も、大隈に誘われて参加するようになる。
 この時の参加者は二十八人で、四十三歳の安房を筆頭に、主宰者で三十四歳の神陽、同い年の島団右衛門(しまだんえもん)(後の義勇(よしたけ))、島の実弟で三十二歳の重松基右衛門、二十四歳の大木民平(おおきみんぺい)(後の喬任(たかとう))、二十二歳の江藤新平(えとうしんぺい)、二十一歳の中野方蔵(なかのほうぞう)らが参加していた。神陽の次弟で二十八歳の二郎(後の副島種臣(そえじまたねおみ))は、藩命で京都に留学中のため参加できなかった。

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