第一章 気宇壮大(九)

 

 それでも大隈は悪びれずに言った。
「わしの言っていることは、そのうち分かる。此度(こたび)の一件も、そなたは五年後には感謝しているはずだ。尤(もっと)も、それはそなたの心がけ次第だがな」
「何を言ってやがる。そなたごときに感謝してたまるか」
「いや、感謝する」
 大隈が確信を持って言ったので、坂本は呆気に取られながら問い返した。
「どうしてそれが分かる」
「これからの医は、西洋から学ばねばならぬ。これを機に、そなたも蘭方医に宗旨替(しゅうしが)えすればよい」
 すでに佐賀藩では、安政五年に「好生館(こうせいかん)」という西洋流医術を学ぶ専門学校が創設されていた。
「馬鹿を申すな。さようなことをすれば、わしは父から切腹を強いられる」
「それなら脱藩して浪人となり、長崎に行くがよい。長崎に行って蘭方医になるのだ。このままここで漢方医を続けるよりも、その方が面白いぞ」
「勝手なことばかり申すな。わしにも立場がある」
 坂本が泣きそうな顔でそう言った時、近習(きんじゅう)が入ってくると、安房の入室が告げられた。
 直正より一歳年上の四十三歳になる安房は、体格が力士のように大きく、いつも穏やかな笑みを浮かべている人物だった。しかしひとたび怒れば、その怒声は有明海まで届くと言われていた。
 安房が垂れ下がり気味の頬を震わせて問う。
「そなたらが事件の発端となったのだな」
即座に「仰せの通りにございます」と答えた大隈に対し、坂本は不承不承「はい」と答えた。
「なぜ、さようなことをした」
 坂本が言う。
「それがしは寝ているところを蹴られたので、喧嘩に応じたのです」
 すでに取り調べは終わっているので、安房も経緯は承知しているに違いない。
「では、そなたには何の落ち度もなかったと申すか」
「いえ、いかに寝ていたとはいえ、喧嘩に応じたのは間違いでした」
 安房が満足そうにうなずきつつ言う。
「それが分かっているならよろしい。復学せよ」

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