6月の昼下がり、出先から支社に戻ると、玄関前にタクシーが止まり、手押し車の男性が立っていた。そばに女性が寄り添う。駆け寄って声をかけると、「足が弱って(2階事務所への)階段を上れなくて」。

 唐津原爆被害者の会会長の平山末広さん(89)と妻の智美さん(84)だった。

 4年前、戦後70年の企画で記者が平山さんを取材した。近況を聞くと、「実は会を解散することになりました。その報告です」。

 子細は先週9日、長崎原爆忌の日の記事に詳しい。平山さんは4年前の取材後、脳梗塞で倒れた。不自由な体を押して活動を続けてきたが、限界だった。

 戦争当時、伊万里商業学校の生徒で、学徒動員先の長崎で被爆した。その平山さんを支えてきた智美さんは小学5年生の時、兵庫・西宮の大空襲で自宅を焼かれ、母親とともに唐津の伯母の元に逃れてきた。

 空襲は8月6日未明。智美さんは岡山に疎開していたが、「家族と再会できないまま孤児になった同級生もいたはず」。その3日後、平山さんは助けを求めるうめき声に耳をふさぎ、焼け野が原をさまよった。

 戦時と、戦後を生きるということ。いたわり合い、タクシーに乗り込む老夫婦を見送りながら、考えた。(唐津支社長・吉木正彦)

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