「小侍番所名絵図」の一部分(多久市郷土資料館蔵)。 門のそばの建物に「御番所」と書かれている

 多久市北多久町大字小侍の笹原峠の南東側に「番所」という地区があります。その名の通り、佐賀藩と唐津藩の境目を守るための「小侍番所」が設置されていたところです。

 ここは古代から交通の要衝で、江戸時代には佐賀から笹原峠を経由して唐津へ至る道が「唐津往還」と呼ばれるようになります。島原の乱(1637~38年)をきっかけに、佐賀藩が関所番を設け、多久領の番士10人が警備に当たりました。番所の絵図(「小侍番所名絵図」多久市郷土資料館蔵)には、土塁の上にらい(竹や丸太を粗く組んだ囲い)を建て、関には木戸(防備のための門)を設け、番所の横には番士たちが暮らす家が立ち並ぶ様子が描かれています。

 番士たちは、ただ番所を警備していただけではありませんでした。1771年の虹の松原一揆の際は、唐津藩が農民たちの蜂起を知る前にその動きを察知し、番士を派遣して情報収集に当たらせています。彼らがもたらした報告は現在、一揆の詳細を知るための貴重な資料となっています。

 明治維新後、1875年に番所は廃止されました。現在は「関所碑」と記された石碑が建てられ、土塁がわずかに残るだけとなっています。(多久市郷土資料館・志佐喜栄)

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