第一章 気宇壮大(四)



 弘道館の教育は、朱子学(しゅしがく)と『葉隠(はがくれ)』を主とした画一的な課業だったので、専門的な知識が身に付かないという難点もあった。
 例えば大隈のような石火矢方や医者の息子が、将来何の役にも立たない朱子学を懸命に勉強するという状況になっていた。
「八太郎さん、誰だって勉強は嫌いです。それでも家のために学ばねばならぬのです」
 横から広澤の「わしは好きだ」という声がしたが、二人は無視した。
「そうした考えがいかんのだ。皆が朱子学に詳しくなっても飯の種、すなわち産業は育たない。だいいち火術方(かじゅつかた)をやるのに朱子学が必要か」
 火術方とは鉄製大砲を鋳造(ちゅうぞう)する部門のことで、藩内でも優秀な若者だけが抜擢(ばってき)される花形部門だった。
「それを言ったらおしまいでしょう。われらのような一介の学生が、藩の定めに逆らうことはできません」
「だから、お前は駄目なのだ」
「何が駄目なんですか!」
 久米が色を成す。その間も広澤は声を上げて素読(そどく)を続けているので、二人の声も自然と大きくなる。
「常に自分と家のことしか考えない輩(やから)に、この国の将来は語れぬ」
「うるさい!」
 耳をふさいで勉強していた一人が喚(わめ)いたが、二人はそれも黙殺した。
「私が自分のことしか考えていないと仰せですか」
「そうだ。口では考えていると言っても、行動が伴わなければいかん。わしはこのまま『儒骨(じゅこつ)』になるつもりはない」
「儒骨」とは、書物から知識を学ぶだけで、その知識を生かそうとしない者のことを言う。
「今は家禄を減らされずに弘道館を卒業し、それから実践的な学問を学びます」
「われらが弘道館を卒業する時は、いくつになっている」
「二十半ばです」
 久米が唇を噛む。
 佐賀藩では家督を継ぐ平均的な年齢まで学ばせるほど教育熱心だったので、学問を修了するのは二十代半ばになっていた。
「さような年齢になってから、実践的学問を学ぼうとしても手遅れだ。『儒骨』どころか、本物の骨になってしまう」

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